上画像は、中橋から見た「浅間社」。

 

 銀杏が、美しく黄葉していました。

 

 

 『尾張名所圖會』巻二によれば、

 

 淺間社 巾下江川町の南にあり。慶長年中富士塚町よりうつす。

 

 この浅間神社以北が「四間道」で、

 

 

 名古屋市の「四間道町並み保存地区」。

 

 

 同市のウェブサイト「四間道町並み保存地区」によれば、

 

 四間道沿いには、通りの東側に一段高くなった高さ1メートル程度の石垣が築かれ、その上に現在も多数の土蔵が建ち並んでいます。黒の本瓦、白漆喰の壁、石垣が連続し、四間道地区の代表的な景観となっています。

 

 

 上図は、『尾張名所圖會』(1844年)巻二の挿圖「中橋裏浅間社」。


 堀川に架かる「中橋」は描かれていませんが、「裏」にあたる「浅間社」は、挿圖の左下。

 

 そして、四間道の東側には、石垣の上に立ち並ぶ土蔵が描かれています。 

 

 なお、挿圖の左上は堀川に架かる「五条橋」で、東に伸びるのは「京町筋」。

 同圖會によれば、堀川の東岸には当時、

 

 材木屋・竹屋・薪屋軒をならべたり

 

という状況だったので、何軒かの材木屋も描かれています。

 

 

 上画像は、現在の四間道の東側。

 

 

高さ1m程の石垣の上に、白い漆喰壁の土蔵が残り、当時を偲ばせます。

 

 

 また、四間道の西側にも部分的にではありますが、古い町家があり、

 

 

通りを一本西に入ると、狭い路地に、「屋根神様」を祀る、古民家も見ることができました。

 

 

 さて、四間道を抜け、上画像は五条橋から堀川の下流方向を見たもの。

 

 

 堀川のすぐ西が美濃路であり、一本西が四間道。

 

 五条橋を渡って東に進めば京町筋なのですが、西に向かうと円頓寺商店街。

 

 この後は、昭和レトロな雰囲気が感じられるという「円頓寺商店街」に向かいました。