(前回「月本追分から三渡川へ」より続く)

 

 

 『伊勢参宮細見大全』(1766年)に、

 

六軒茶屋 上り下り立場雲津松坂の中也 右伊賀へ入道也 月本の阿保越と同じ

 

 また、『伊勢参宮名所圖會』(1797年)に、

 

六軒茶屋 又三渡村とも云ふ。伊賀より此所へ出づる道あり。

 

と書かれているように、旧三渡村六軒茶屋は、かつての立場。

 

 

 また、伊賀から大和に向かう初瀬街道が分かれる追分でもありました。

 

 

橋の南詰に立つ道標には、「右 いせみち」

 

 

「やまとめぐりかうや道」「大和七在所順道」と刻まれています。

 

 

 清河八郎『西遊草』(安政二年)*に、

 

 それより月本、六軒等の宿をすぎ、松坂町にいたる。月本、六軒はいづれも大和に越ゆる道筋にて、是辺より参宮人多く、ゆくにしたがひ道中にぎわしく、

 

と書かれているように、大和からの参宮人も多かったでしょうし、

 

 伊勢より大和に越る道三筋あり。田丸、六軒、月本なり。

 

参宮を終えた後、大和へ越える旅人もあったのだろうと思います。

 

 例えば、手中敏景「伊勢道中日記」(天保十二年)**を見ると、往路は、

 

 六間ニけんどんヲ食し

 

茶屋でうどん?を食べており、復路は、

 

 六軒宿ひぜんや藤五郎方ニ休(略)あを越

 

肥前屋藤五郎で休んだ後、阿保越に掛かっています。

 

 また、明治のものになりますが、北多摩郡喜多見村小泉角兵衛「道中万覚帳」(明治十四年)***を見ると、

 

 巳二月廿日松坂上ゟ六けん迄

 一 金六銭七厘        馬車

 同日           六けん

 一 金拾弐銭 中きち  江戸屋五郎兵衛

  外酒七銭三厘

 惣〆

 

 巳二月廿日六けんゟ大和七才所

 同日          大ノ木

 一金弐十四錢       あぶらや新七泊 

 

ということなので、彼は六軒より大和七才所に向かうべく初瀬街道に入り、大ノ木(現:津市一志町大仰?)のあぶらや新七で泊ったということになります。

 

 

 上画像は、六軒追分道標の東にある常夜燈。

 

 

 現地の案内板によれば、文政元年(1818年)の刻銘。

 

 大坂の守口屋庄兵衛、江戸屋吉兵衛らの寄進によるものだそうです。

 

 

 

*清河八郎『西遊草』(岩波文庫、1993年)

 

**西和夫編『伊勢道中日記 旅する大工棟梁(神奈川大学日本常民文化叢書6)』(平凡社、1999年)

 

***世田谷区教育委員会『伊勢道中記史料』(1984年)

                              (次回に続く)