(前回「参宮道 津 江戸橋から岩田橋へ(前)」より続く)

 

 津は、『伊勢参宮名所圖會』(1797年)に、

 

 津 七十二町と云。工商軒をならべ繁花富饒の地也

 

と書かれているように、工商が軒を並べる、繁華の地。

 

 また、清河八郎『西遊草』(1855年)*が、

 

 津は三拾五万石藤堂侯の城下にして、市中もにぎわしく、殊に七拾二町ばかりの長さにて、旅人倦み、退屈するほどの所なり。

 

と書くように、藤堂家35万石の城下町でもありました。

 

 ただし、伊勢参宮の旅人にとっては、倦み退屈するほどの長い街並みだったようです。

 

 

 上図は、河島九右衛門『實地踏測三重縣管内全圖』(1895年)より、「津市街」。

 

 安濃川左岸、伊勢街道沿いの街村が当時の安濃郡塔世村(橋北)で、塔世橋を渡ると、津城下の津市街(橋内)。

 

 それに対し、岩田川以南が橋南で、やはり伊勢街道沿いに、長い街村を形成していました。

 

 清河八郎『西遊草』によれば、

 

 津はむかし阿濃津といひて、城もかなり美事にて、岩田橋とて市中の川にかかりあり。

 

 

 上画像は、岩田川にかかる観音橋から、現在の岩田橋を見たもの。

 

 右岸(南)には百五銀行岩田本店棟があり、

 

 

左岸(北)には百貨店「津松菱」があります。

 

 また、『伊勢参宮名所圖會』によれば、

 

 岩田橋 南北に架れり三十間 津の町にあり。(略)此の西北の橋爪の西側に當城の岩田口と云見附あり

 

ということなので、当時は橋の北詰西側に番所があったのだろうと思います。

 

 

 

 上図は、明治のものになりますが、米津鎌治郎編『三重縣名所圖繪』(伊勢新聞社、1890年)より、「津市岩田橋之寫景」。

 

 当時は板橋だった「岩田橋」も、現在は国道23号線で片側3車線。

 

 交通量の多い、国道の歩道を650mほど歩き、津信用金庫橋南支店の交差点から、南東に斜行する参宮街道に入ります。

 

*清河八郎『西遊草』(岩波文庫、1993年)