先日、三重県総合博物館に企画展「三重の円空」を見に行ってきました。

 

 私が「円空仏」を見るのは、これで3館目。

 

 高賀山に登りに行った帰り道、関市洞戸の「円空記念館」と、同市池尻の「関市円空館」に寄って以来なので、7年ぶりということになります。

 

 

 今回の円空展の特徴は、一つには絵画作品が取り上げられていること。

 志摩市の片田と立神に残された、「大般若経」の見返し部分に描かれた「釈迦説法図」全点が、前期・後期で入れ替えで展示されます*。

 

 彼は、延宝2年(1674)、志摩にやってきて、傷んだ大般若経を修復したそうです*。

 

 

 もう一つの特徴は、三重県内に伝来する30体を超える円空仏のうち、20体が展示されていること。

 

 中でも、見応えがあったのは、ポスター画像の真教寺(閻魔堂)「木造十一面観音立像」。

 

 総高236cmと、県内の円空仏の中では屈指の大きさ。彼が志摩を訪ねた、延宝2(1674)年頃の制作と考えられるそうです*。

 

 また、以前見に行った関市円空館からも、「善財童子立像」(自刻像)や十一面観音立像が出展されていました。

 

「近世畸人伝」より僧圓空

 

 上画像は、今回の企画展にも展示されていた、伴蒿蹊『近世畸人伝』(1790年)より「僧圓空」。

 

 僧圓空は美濃ノ國竹が鼻といふ所の人なり。稚きより出家し、某の寺にありしが、廿三にて遁れ出で、富士山に籠り、又加賀白山に籠る。

 

 彼は寛文三年(1663)から仏像を作り始めたものの、なぜ僧侶になったのか、まだそれまでの30年間何をしていたかは謎に包まれているそうです*、

 

*三重県総合博物館情報誌『みえしんす』38号(2022年9月)