上画像は、四日市市立博物館の企画展「四日市公害判決50年展」(~8月28日)の入口。

 

 

  1982年7月23日付『信濃毎日新聞』の記事によれば、四日市公害訴訟は、1967年9月1日の提訴。

 

 津地裁四日市支部の判決が1972年7月24日なので、今夏、「四日市公害判決50年」を迎えたということになります。 

 

 

 続けて、上画像は、同館に掲示されていた「四日市公害判決50年展」のポスター。

 

 キャッチコピーは「過去を振り返り未来へつなぐ」で、被害の状況や公害訴訟、その後の取り組みなどの資料が、展示されていました。

 

 

 

 ところで、自宅に帰ってから、スクラップを探して出てきたのが上画像の記事(1982年7月26日付『朝日新聞』)。

 

 「四日市判決から10年」との見出しで、

 

 公害の“原点”を取り巻く状況は十年でどう変わったか。

 

と書かれていました。

 

 ちなみに、いわゆる「四大公害」のうち、イタイイタイ病の一審判決が1971年6月で、控訴審判決は翌72年8月*。

 新潟水俣病の地裁判決は1971年9月で、水俣病の熊本地裁判決は1973年3月*。 

 

 それからさらに四十年を経て、公害を取り巻く状況は、どう変わったでしょうか。
 

 今回は、いろいろと考えさせられる見学になりました。

 

*「主な環境問題と環境行政年表」(『ジュリスト』NO.749、1981.9.15)