先日、旧東海道を、鈴鹿峠から土山宿まで歩いてきました。

 

 

鈴鹿峠は、伊勢と近江の国界。

 

『伊勢参宮名所圖會』(1797年)に、

 

江州勢州國界標木

 

とあるので、かつては標木だったのでしょうか、現在は上画像のような標石です。

 

 

 

 さて、去年の五月は「鈴鹿峠から高畑山へ」で、高畑山に向かったので、今回は旧東海道を、土山宿へ。

 

 

江州側に少し下ると、

 

 

右手に大きな常夜燈。

 

 

 竿に「金毘羅大権現」と刻まれているので、地元の金毘羅講の信者が建立したものということになるでしょうか。

 

 

 

 鈴鹿峠をトンネルで越えてきた国道1号線に下り立つと、このあとは、同国道の歩道を長く、歩くことになります。

 

 上画像は、熊野神社。

 

 

 

 続けては、山中集落内にある十楽寺。

 

『伊勢参宮名所圖會』に、

 

山中聚楽寺 常念佛、観音古佛の像あり。

 

と書かれる聚楽寺でしょうか。

 

 

 

馬子唄公園まで下ると、「あいの土山観光案内図」があり、

 

 

 

馬子唄の石碑。

 

 国道を離れ、集落の中に入っていくと、

 

 

 

新名神の陸橋が見えて来て、

 

 

抜けたところには、

 

 

山中一里塚公園。

 

 かつてはここに、一里塚があったのでしょうか。

 

 

 

「いちゐのくわんおん道」と刻まれた道標も建っていました。

 

 甲賀市甲賀町櫟野には、十一面観音をご本尊とする櫟野寺があります。

 

 

 さて、一里塚公園から国道沿いにしばらく歩いたところで、次は旧猪鼻村へ。

 

 芙蓉山人『伊勢参宮細見大全』(1766年)に、

 

 猪鼻村 上り下り立場(略)此所よもぎもちをうる 名物のやうに呼来れり

 

と書かれるように、猪鼻村は、かつての立場。

 よもぎもちが名物だったようです。

 

 

さて、蟹ヶ坂で、国道一号線と分かれ、再び旧道に入るのですが、

 

 

そこには榎の大木と、小さな祠。

 

 工場の間を抜けると、田村川に架かる、

 

 

海道橋が見えてきました。

 

 

上画像は、橋の上から、上流(北東)方向を見たもの。

 

 

続けては、下流(南西)方向。

 

向うに見えている橋は、国道一号の田村橋です。

 

 

 そして橋を渡った先には、田村神社が見えてきました。

 

 芙蓉山人 『伊勢参宮細見大全』(1766年)では「正一位田村大明神」

 『伊勢参宮名所圖會』(1797年)では「田村大明神の社」。

 

 そして、秋島籬島『東海道名所圖會』(1797年)は、「田村明神祠」。 

 

神威霊験日々に新にして、参宮の輩、關東・關西の旅人、立寄てこゝに詣せずといふ事なし。

 

 霊験新たかにして、東海道を歩く、多くの旅人が立ち寄り詣でたのだろうと思います。