先日、熊野古道馬越峠から、便石山へ行きました。

 

 

 馬越峠に行くのは、4年ぶり。

 

 前回は「馬越峠から東の天狗倉山へ」だったので、今回は西の便石山(びんしやま)へ、という計画です。

 

 

 

 馬越峠は、熊野古道伊勢路の中でも、人気のコース。

 

 

 

 山道に入るとすぐに、敷石の道が始まります。

 

 

 現地に立つ、紀北町教育委員会の案内板「馬越坂の石畳道と一里塚」を見ると、

 

 麓から峠に至る約2キロメートルのかなりの部分が敷石で舗装され、現在もよく往時のおもかげを残している。

 

 

 ただ、暁鐘成 編輯 『西国三十三所名所圖會』(1853)が、「間越坂(まごせざか)について、

 

 峠の上下一里坂路(略)敷石をして頗る嶮しく難所なり

 

と書いているように、嶮路に難渋した旅人もあったのだろうと思います。

 

 

 

 さて、古道を登っていくと、

 

 

登り口から20分ほどで、

 

 

夜泣き地蔵尊の祠。

 

 

 また、途中一か所だけですが、展望が開けたところがあり、

 

 

銚子川上流なので、大台ヶ原方面でしょうか?

 

雪をつけた稜線が見えていました。

 

 

 

 さて、いったん林道に出た後、再び敷石の道を登ると、15分ほどで、

 

 

馬越峠に到着しました。

 

 

 先述の『西国三十三所名所圖會』によれば、「間越峯(まごせたうげ)」にはかつて、岩舩山地蔵堂があり、堂前には茶屋も一軒。

 

 

 

 現地の案内板「馬越峠の茶屋跡」によれば、明治の中頃、店を畳んだようです。

 

 

 峠からは、木の間越しに、尾鷲の町が見えていました。