上画像は、1967年10月11日(水)付け『中日新聞』一面。

 

 題字は「中日新聞」で、地紋は稲穂に名古屋城・愛知県庁・テレビ塔なのですが、題字の下を見てみると、「中部日本新聞社」。

 

 「中部日本新聞」から「中日新聞」に改題されたのは1965年1月、それに対し、社名が中部日本新聞社」から「中日新聞社」に変更されたのは、1971年9月*です。

 

 「中部日本新聞」が題字の頃の一面の画像については、このブログ「1964年12月27日の新聞記事から」をご覧下さい。

 

 

 次の画像は、同日のテレビ欄。

 

 左上からNHKテレビ、中日テレビ(CBC)、東海テレビ(THK)、名古屋テレビ(NBN)、NHK教育テレビです。

 

 時代を感じるのは、例えば東海テレビなら、夕方6時15分からのバッドマン、夜7時からの「仮面の忍者赤影」、9時45分からの「スター千一夜」の計3番組に、「カラー」と白抜きで表記されていること。

 

 東海テレビが、カラー放送を開始したのは1964年の9月なのです**が、1967年当時のテレビの世帯普及率は、白黒テレビの96.2%に対し、カラーテレビは1.6%***。

 

 テレビ番組も当時はまだ、ほとんどが白黒放送でした。

 

 

 続けての画像は同日の「みもの」欄。

 

 取り上げられているのは、時代劇全盛の頃なので、中日(

TBS系列)は夜8時からの「風・獣の城」と、9時半からの「半七捕物帳」。

 東海(フジ系列)は、夜8時からの「銭形平次」です。

 

  十五夜にあとわずかという晩、八五郎(林家珍平)は、柳橋の芸者に送られて帰る周防屋久兵衛が、何者かに襲われたところを助け、現場に落ちていたかんざしから犯人捜しに乗りだす。(略)平次(大川橋蔵)が、周防屋を訪れて和泉屋のことを聞いている最中、石をくるんだ女文字の手紙が投げこまれる。

 

 「銭形平次」は、『オール讀物』の1931年の創刊号から1957年8月号まで連載された捕物帖の名シリーズで、テレビでも1966年から1984年まで続いた長寿番組。

 

 私が見ていた頃は、既にカラー放送で、また、「お静」役も香山美子さんに代わっていましたが、投げ銭や舟木一夫の主題歌(まだ空で歌える!)など、記憶がよみがえってきます。

 

*「中日新聞Web」より「社史・沿革」 

 

**東海テレビのウェブサイトより「会社概要」。

 

***内閣府「消費動向調査」