阿星山の北麓に、阿星山長寿寺(東寺)と阿星山常楽寺(西寺)があります。
常楽寺(西寺)は、本堂と三重塔が国宝。
今谷明『近江から日本史を読み直す』(講談社現代新書、2007年)によれば、
正和二年(1313)には当寺の僧が善水寺に討ち入り、放火したという記録が残っているから、僧兵を抱えて殺伐とした雰囲気もあったようだ。
とのことなのですが、延文五年(1360)七月の「近江國常樂寺勸進帳」*をみると、
江州常樂寺勸進阿闍梨大法師觀慶敬白
請特蒙十方檀那助成再起立當寺廻祿堂宇則安置本尊免難形像鎮祈國家遍益人民狀
(略)
延文五 三月廿六日。堂塔僧坊三十餘宇。爲神火焼失畢。
江州常樂寺は、延文五年(1360年)3月26日、三十余の堂塔をことごとく焼失。
そこで法師観慶が堂宇の再起のため、檀那に助成を勧進した、ということになるようです。
なお、本堂内は撮影禁止のため、画像はないのですが、
佛像釋迦尊十一面廿八部衆等者。抱出煙火捧全形體。
煙火の中、抱え出されたという二十八部衆が安置されていました。
一方、三重塔については、
江州甲賀下郡常樂院勧進沙門慶禪敬白
請特蒙十方檀那助成早令遂三重塔婆修造安置釋迦三尊形像祈請衆生二世欣求狀
という應永五年(1398)の勧進状**があり、
本堂前の石燈籠も、竿正面の上部に、「應永十三年 丙戊 六月」との刻銘**があるとのことなので、
ともに、応永年間、室町中期の建立ということになるでしょうか。
私が拝観した日はサツキが花盛り、堂宇にピンクの彩りを添えていました。
*『大日本佛教全書 第120巻 寺誌叢書第四』(佛書刊行會、1921年)
**滋賀縣國寶修理常樂寺境内出張所『國寶常樂寺本堂及塔婆維持修理工事報告』(1941年)






