前回に続き、国立西洋美術館前庭に展示されている、ロダンの彫刻画像をご覧ください。

 

 

 まずは、「Adam」と 

 

 

「Eve」。

 

 フランス語読みすれば、「アダン」と「エヴ」ということになるでしょうか。

 

 「地獄の門」の両脇に建てる巨像として構想されたものの実現せず、「Eve」は単体の作品として、1899年、「サロン」に出品されました*。

 

 次は、「地獄の門」(La Porte de l'enfer)。

 

 

  「ギュスターヴ コキヨ筆録」*に、

 

 ダンテ風の偉大な詩歌の最も感動的な部面で満ちたものになるという広大な門を造ることを申し出たのです。

 

高村光太郎の「ロダン逝く」(1917年)**にも、

 

 時の美術次官チュルケに委嘱されて畢生を傾倒せる「ダンテの門」の製作にかかった。


とあるように、彼は、ダンテの『神曲』地獄編第三歌に登場する「地獄の門」を表現しようとしました。

 

 そして、高村光太郎が続けて、

 

これはルウブル装飾美術館の門で、翁が思想に關する殆ど總ての彫刻は、此の門のための彫刻なのだ。

 

とか、

 

 何れも驚くべき力強さをもっている。

 

と書いているように、ロダン畢生の力作なのですが、

 

 翁が逝いたとすれば、未完成のままとなったわけである。

 

生前に鋳造されることはありませんでした。

 

 先ほどの「ギュスターヴ コキヨ筆録」*に、

 

 ご承知の通り石膏型はみな出来上って、札をつけられて、最終の完成を要求してくれる日を待っています。だがこんな日が一体来るでしょうか。(略)完成するには、門は鋳銅にせられねばなりません。十万フランが必要です。局が決してに私に同意しないだろうとは貴方も思うでしょう!いずれにしろ私は国家に私の製作を遺贈します。

 

とあるので、石膏型は出来上がっていたものの、政府が鋳造するための費用に同意しなかったようです。

 

 

 ところで、その「地獄の門」の頂上、巨大な門扉の間に、頬杖をついて坐り、思索にふけっている人物がいます。 

 

 

 上画像は、同館の前庭に展示されている、おなじみ「考える人」(Le Penseur)。

 

 ロダンは、先ほどの「ギュスターヴ コキヨ筆録」*の中で、

 

 私は「門」の細部をそこらじゅうに少し蒔き散らしました。

 

と書いているので、この細部も蒔き散らされたものということになるのかもしれません。

 

*高村光太郎訳『ロダンの言葉抄』(岩波文庫、1960年)

 

**高村光太郎「美について」(道統社、1941年)