先日、京都の北野天満宮に行ってきました。

 


 

 祭神の菅原道真公は、古くから「文道之祖」とされる人物。

 

 平安中期に編纂された『本朝文粋』*の巻第十三、慶滋保胤「賽菅丞相廟願文」(寛和二年)に、

 

  以其天神為文道之祖、詩境之主也。

 

 大江匡衡「北野天神供御幣幷種種物文」(寛弘九年)に、

 

  就中文道之太祖、風月之本主也。

 

 鎌倉時代初期とされる「北野天神縁起」**にも、

 

  其むかしをたづぬれば、文道の太祖、風月の本主なり。

 

とあります。

 

 

 ちなみに、楼門の扁額も、「文道太祖 風月本主」。

 

 門をくぐって左手の「絵馬所」で買った「学業鉛筆」の桐箱にも、この詞書が書かれていました。

 

 

 さて、「絵馬所」から、「三光門」をくぐると、正面に拝殿が見えてきます。

 

 北野天満宮のウェブサイトを見ると、1607年、豊臣秀頼造営という国宝建築で、「権現造」というそうです。

 

 「権現」と聞くと、連想されるのが、本地垂迹説。

 

 鎌倉時代初期、慈円の『愚管抄』***巻三に、

 

 天神ハウタガイナキ観音ノ化現ニテ

 

 先述の「北野天神縁起」**にも、

 

 あはれ目出かりける権者の化現かな(略)さても本地申せば、観世音のすいじゃく、十一面の尊容なり 


とありますから、天神は、十一面観音の垂迹と考えられていたようです。 

 

 (次回に続く)

 

 

*『新日本古典文学大系27 本朝文粋』(岩波書店、1992年)

 

**『日本思想大系20 寺社縁起』(岩波書店、1975年)

 

***『国史大系』第14巻(経済雑誌社、1901年)