(前回より続く)

 

 現在の国道21号線、太田橋の上流にある新太田橋を渡って、今回の最終目的地、旧中山道の御嵩宿に向かいました。

 

 

 上図は、1911年測図の五万分一地形図「太田」。

 

 東西に走る旧中山道沿いの街村が御嵩町です。

 

 地図記号の「○」は町役場で、楕円形は可児郡役所。御嵩町は当時、この地域の中心地でした。

 

 例えば、御嵩にある岐阜県立東濃高等学校は、1896(明治29)年、岐阜県尋常中学校東濃分校として創立された、県下では岐阜高(岐阜市)、斐太高(高山市)、大垣北高(大垣市)に次ぐ歴史ある学校です*。

 あるいは、岐阜地裁の支部は、県下に四つあるのですが、その所在地は、高山、多治見、大垣、御嵩です。

 

 ただ、名古屋からの中央線が御嵩ではなく、多治見を経由し開通したあたりから、時代の流れにとり残されたのかもしれません。

 

 

 上画像は、御嵩町図書館前から見た、現在の旧中山道沿いの街並み。

 歴史を感じさせる落ち着いた街並みが続いています。

 

 左手前の「竹屋」の主屋は、1877(明治10)年頃の建築で、町指定の有形文化財です。

 

 また、竹屋は商家で、江戸末期の分家だそうですが、その本家にあたるのが、代々本陣を務めた西隣の野呂家。

 

 伊能忠敬の1809(文化6)年10月14日の測量日記に、

 

 止宿本陣野呂弥五右衛門

 

とあるので**、彼もこの野呂家に泊まったということになります。

 

 

  現在の建物は、明治期と大正期に二度建て替えられたそうですが、門構えにも、旧本陣という格式を感じさせます。

 

 

 そして、さらにその西隣にあるのが、中山道みたけ館。

 1階が図書館・2階が郷土館の複合施設で、企画展「岐阜県博物館移動展 弥生から古墳へ~可児・加茂地域の墳墓と集落~」が開催中でした。

 

 ただ、私は歴史好きといっても、交通史と文学史、そして登山史という条件付き。

 考古学のことは何もわからず、早々に退散することになってしまいました。

 

 

*岐阜県立東濃高等学校「学校沿革

 

**中山道みたけ館『平成24年度中山道みたけ館特別展「みたけ発見!こちらふるさと地図センター」図録』(2012年)