(前回より続く)

 

 階段を上がった二階の企画展示室では、「のり子の少女時代と西尾」「のり子とふるさと吉田」「現代詩の長女」という3つのコーナーに分けて、彼女の愛用品や日記、ノートなど、約50点が展示されていました。

 

 その中で、私が興味を感じたのは、次の三点。

  

 一つ目は「のり子の少女時代と西尾」の中から、彼女の「愛知縣西尾高等女學校」の「卒業證書」。

 「長野縣 宮嵜○子」と書かれていました(私のパソコンにはない字のため、とりあえず○にしてあります)。

 

 「長野縣」については、彼女の父親である洪氏が長野県出身*なので、彼女の本籍地も長野縣だったと理解できます。

 

 ただ、氏名についてはよくわかりません。

 というのは、西尾高等女学校の校友会誌『校友』13(1940年)に掲載された彼女の作文「野良犬」の氏名は、「一年 宮崎圀子」*。

 しかし、卒業証書については、「崎」ではなく「嵜」であり、また「くにがまえ」の中が「方」ではなく「允」。

 彼女が自分のペンネームを「くに子」と平仮名書きにしたのは、何か意味があったのだろうか、などと思ったりしています。


 二つ目は、展示コーナーの名称の一つが「のり子とふるさと吉田」だったこと。

 

 彼女は1932~42年、少女時代の十年間を幡豆郡西尾町で過ごしました。

 

 しかし1942年、彼女の父親洪氏が幡豆郡吉田町で開業したために、家族とともに転居。そして、翌43年、彼女は東京の帝国女子医学薬学理学専門学校に進学しています。

 また、1946年に卒業後、実家に帰るものの、1949年には結婚し、埼玉県所沢市に転居しました。

 つまり、吉田町には計4年間しか住んでいなかったということになります*。

 

 しかし、彼女の1952年3月7日の日記*を見ると

 

 朝吉田着。

 なにもかもなつかしい・・・・・。

 何といっても私の育った風土なのだ。

 コーヒーを飲んで、三人で和やかに歓談。

 父の良さ、母の良さをしみじみと感じる。


 1955年8月16日の日記*にも

 

 吉田の駅に下り立つと かすかに礒の

 

 匂いがして とてもよかった。

 

などと吉田の町や駅が登場します。

 

二十万図豊橋より吉良町

 

 上図は、二十万図「豊橋」。

 

 吉田駅は、海が近いですから、風向きによって、磯の香りがすることもあったのでしょうね。

 

 

 彼女は東海道線蒲郡駅で名鉄に乗り換え、帰省することが多かったようです。

 

 

 彼女の実家、「宮崎医院」は、地図でいうと吉田駅近くの、名鉄三河線と西尾線に挟まれた三角のあたり。

 

 

 同医院HPで、ウェブページ「宮崎医院の歴史 」を見ると、彼女の父親洪氏が初代院長であり、彼女の弟英一氏が第二代、そして現在は、彼女の甥にあたる仁氏で第三代。

 

 

 吉田の町は彼女にとって、両親や弟家族との思い出に包まれた、「なつかしい」風土だったようです。 

 

 

 そして三つ目は、「現代詩の長女」という展示コーナーの中から、やはり「倚りかからずの椅子」。

 彼女の名詩「倚りかからず」**に、「倚りかかるとすれば それは 椅子の背もたれだけ」と出てくる、彼女の愛用品です。

 

 「椅子」***という作品の中にも、

 

 ―あれが ほしい―

 

 子供のようにせがまれて

 

 ずいぶん無理して買ったスェーデンの椅子

 ようやくめぐりあえた坐りごこちのいい椅子

 よろこんだのも束の間

 たった三月坐ったきりで

 あなたは旅立ってしまった

     (中略)

 私の嘆きを坐らせるためになら

 こんな上等な椅子はいらなかったのに

 ひとり

 ひぐらしを聴いたり

 しんしんふりつむ雪の音に

 耳かたむけたりしながら

 月日は流れ

    (以下略)

 

と、出てきます。

 

 夫三浦安信氏のために買った椅子だっだのが、安信氏は1975年にご逝去。

 彼女が亡くなったのは2006年ですから、約三十年間、彼女は「ひとり」、この椅子に坐って暮らしたということになります。

 

 彼女の死後、この「椅子」を含む、夫への思いを記した未発表の詩四十編が発見され、その自筆原稿や、原稿を納めた「Y」と記したクラフトボックスも、同展には展示されていました。

 

 「Y」とは、彼女の夫「安信」氏のイニシャルでしょうか。 

 

 ところで、先日、図書館でコロナブックス編集部編『作家のおやつ』(平凡社、2009年)を読んでいたら、茨木のり子の甥にあたる宮崎治氏の「おやつが語る詩人の人生」という文章を見つけました。

 

 伯母はういろうが好きで、とりわけ名古屋の老舗“養老軒”の白と黒の「外郎」が好物だった。他にも初夏の頃に限定販売される“初かつお”という綺麗なピンク色の外郎もお気に入りであった。

 

 

 初夏の頃になったら、その養老軒の「外郎」を探して、我が家の椅子の背もたれに倚りかかってみようか、などと思っています。

 

 

 

 

*西尾市岩瀬文庫展示図録『特別展 茨木のり子没後十周年 詩人茨木のり子とふるさと西尾』(2015年)

 

 

 

 

**茨木のり子『倚りかからず』(筑摩書房、1999年)

 

 

***茨木のり子『歳月』(花神社、2007年)