知立は歴史ある街。
好奇心をそそられて、6回にもわたって、このブログに書いてしまいましたが、最後に、知立の松並木を歩いてみた折の画像など、ご覧いただけたらと思います。
上図は、1930年鉄道補入の五万分一地形図「岡崎」。
東西に走るのは愛知電鐡豊橋線、現在の名鉄名古屋本線で、「うしだ」駅は1923年の開業です。
さて、その牛田駅で下車し、旧東海道に入り、東進すると、来迎寺の集落があり、一里塚があります。
南塚は、東半分が道路で削られたのか原型を残していません。それに対する北塚はよく形態をとどめていますが、旧東海道との間に「来迎寺町公民館」が建っています。
ということで、両塚とも一長一短ではありますが、旧東海道で、道の左右に残っているというのは貴重。
「来迎寺一里塚 」として、愛知県指定の「史跡」です。
さて、牛田から今度は旧東海道を西に進むと、「八橋山無量寺」と刻まれた道標がありました。
八橋は、このブログ「知立市歴史民俗資料館へ(前)伊勢物語 」「知立市八橋の無量寿寺 」「知立市歴史民俗資料館へ(中)杜若 」「知立市歴史民俗資料館へ(後)描かれた八橋 」で、四回も登場した伊勢物語の在原業平ゆかりの地。
そして、上画像の道標の背後に見えるのは、衣浦豊田道路の陸橋と歩道橋で、
歩道橋に上ってみると、知立の松並木が見えました。
この松並木の西の終点近くには、「馬市之趾」と刻まれた石碑。
知立では、江戸時代、馬市が開かれていて、秋里籬島「東海道名所図会」によれば、
毎年四月二十五日より始りて五月五日に終る。驛の東の野に駒を繋ぐ事、四五百にも逮べり。馬口労牧養集りて、馬の價を極むる
同図会の挿画「池鮒鯉驛」を見ると、道端には縁台が置かれ、脇の竈からは湯気らしきものも上がっていますから、出店もあったでしょうか。
毎歳此市の間は、驛中大に賑ひて、諸品の市店を錺りて、近國より控馬卒馬長聚る事多し。
とあり、馬市が開かれた十日間は、おおいに賑わったようです。
さて、次週は、三重県に話を移し、地図を見ながら、戦前の絵葉書など話題にしてみたいと思います。
もしよければ、また、お付き合い下さい。