(前回より続く)

 

 冠木門をくぐり、右手の受付で入館料550円を払って入館します。

 

 

 まず、目に入るのは広い庭。

 

 礎石は、藤村の生家、旧馬籠宿本陣のものだそうで、それを残した設計ということになるのかもしれません。

 

 全国文学館協議会編『増補改訂版 全国文学館ガイド』(小学館、2013年)に、「奈良朝様式の藤村記念堂(回廊)」とありますが、確かに、庭に面した回廊という感じの建物です。

 設計者は谷口吉郎、落成式が行われたのは、1952年だそうです。


藤村記念館 隠居所
 さて、その藤村記念堂(回廊)を抜けた先にあるのが、隠居所(左画像)。

 

 1895年の大火でも焼失せず、唯一残った建物だそうで、藤村の『夜明け前』にも、

 

 

 おまんやお民と一緒に裏の隠居所まで歩こうと言いだしたのは隠居だ。このおばあさんもひところよりは健康を持ち直して、食事のたびに隠居所から母屋に通っていた。

 

 

などと登場します。

 

 

 さらに、ここから階段を下って、1983年建築の「第三文庫」。こちらは常設展示で、藤村の自筆原稿や、本居宣長や平田篤胤全集といった、藤村の蔵書が展示されていました。

 

 

 再び階段を上がると、真新しい建物の「第二文庫」。片山和俊東京芸大名誉教授の設計で、2010年の竣工だそうです。

 

 「企画展 馬籠八景・古今の対話」が開催中でした。

 

 ところで、この「藤村記念館」は、前掲『全国文学館ガイド』によれば、「全国の文学館設立の先駆け」であり、

 

 

 1997年5月、落成50周年目に、入館者が1000万人を超えました

 

 

という、伝統もあれば実績もある文学館です。

 

 また、馬籠観光協会のウェブページ「木曾馬籠宿 藤村記念館 資料館 」に、

 

 馬籠宿の真中に位置しシンボル的存在です。馬籠に来たら必ず見てください。

 


とあるように、観光馬籠のシンボル的存在でもあります。

 

 ただ、岐阜県商工労働部観光課の「平成25年岐阜県入込客統の計調査 」によれば、馬籠宿の入込観光客653,900人に対し、藤村記念館は35,219人。つまり、藤村記念館の入館者は、馬籠観光客のうちの、5.4%に過ぎない。

 

 

 また、過去の入館者数を、馬籠観光協会のウェブページ「馬籠の歴史と文化」で見ると、1975年401.081人、1981年424,432人なので、かなり減少しているということもできます。

 

 

 全国の他の文学館はどうなのか、やはり減少しているとしたらその原因はどこにあるのかなど、気になるところではありますが、それを調べるのは、私にはとうてい無理な話。

 

 

 とりあえず、私は歴史と文学が趣味。このブログも「地図と歴史、文学のブログです」ということになっているので、予定を変更し、あと数回、この馬籠のあたりの歴史や文学に、こだわってみようかと思います。