島崎藤村『夜明け前』の主人公青山半蔵は、国学の影響を受けた人物。

 

 馬篭と中津川との間の三里の道も遠しとしなかった。

 

ということで、中津川の宮川寛斎に学びました。

 

 

 古い青山のような家に生まれた半蔵は、この師に導かれて、国学に心を傾けるようになって行った。

 

 

 のちに半蔵は、宮川寛斎の紹介で、平田鉄胤に入門を許されています。

 

  

 早い話が、彼は中津川の宮川寛斎に就いた弟子である。寛斎はまた平田派の国学者である。

 

 平田鉄胤は、平田篤胤の養嗣子です。

 

 

 いつでも半蔵が心のさみしいおりには、日ごろ慕っている平田篤胤の著書を取り出して見るのを癖にしていた。『霊の真柱』『玉だすき』、それから講本の『古道大意』なぞは読んでも読んでも飽きるということを知らなかった。

 

 

 その平田篤胤について、和辻哲郎『日本倫理思想史』(1952年)*は、次のように書いています。

 

 

 篤胤はその狂信的な情熱の力で多くの弟子を獲得し、日本は万国の本である、日本の神話の神が宇宙の主宰神であるというような信仰をひろめて行った。

 

 

 では、その「狂信的な情熱の力」で獲得した弟子は、どこに多かったのか。

 

 青木歳幸「文化と社会意識」**によれば、篤胤の門人が全国で550人余+篤胤没後の門人が3800人余いたうち、信濃が最も多く639人、次いで美濃377人、出羽329人の順。

 

 信濃の中では、伊那郡が387人と圧倒的に多かった、ということなので、伊那が、平田派国学最大の地盤だったということになります。

 

 次いで美濃ですが、筧真理子「西濃の蘭学と東濃の国学」***によれば、地域的に偏在しており、東濃地方の中津川宿と苗木藩に多かったとのこと。

 ちなみに、中津川に平田派国学をもたらしたのは、『夜明け前』の宮川寛斎のモデルとされる、医師の馬嶋靖庵だそうです。

 

 その平田派国学の地盤であった、伊那と東濃を結ぶ位置に、青山半蔵の馬籠がありました。
 

 

 半蔵にして見ると、彼はこの伊那地方の人たちを東美濃の同志に結びつける中央の位置に自分を見いだしたのである。

 

 青山半蔵は、後年、次のように述懐しています。

 

 彼は自分の心も柔らかく物にも感じやすい年ごろに受けた影響がこんなにも深く自分の半生を支配するかと思って見て、心ひそかに驚くことさえある。彼はまた平田一門の前途についても考えて見た。

 

 

 若き日に平田派国学を学んだことは、青山半蔵こと島崎正樹の後半生に、深い影響を与えたようです。

 ただ、和辻哲郎が、前掲書の中で、

 

 この狂信的国粋主義も勤王運動に結びつき、幕府倒壊の一つの力となったのではあるが、しかしそれは狂信であったがために、非常に大きい害悪の根として残ったのである。

 

と書いているように、平田派国学が、害悪の根として残ったところもあったかもしれません。

 

 

 瀬沼茂樹は「血につながるふるさと」****の中で、

 

 

 島崎正樹は信奉する平田派国学にふけって家業の経営を怠り、財政破綻を招いて、経済的にも没落する要因をはらんでいた。

 

 

と書いています。

 

 

 また、窪田空穂「島崎正樹翁のこと」*****には、彼が松本にあった師範学校に校長を訪れ、教育方針が間違っていることを説いたという記述があります。

 

 

 一つは、文部省の小学校読本の一章に、「日本は亜細亜人なり」とあるが、これはゆゆしい誤りで、日本は神国であり、日本人は特別な人種なのだから、訂正しろ。

 

 もう一つは、洋算を教えることは誤り。和算でできることを外国に学ぶ及ばない。改めろ。

 

と主張したようです。『夜明け前』第二部(下)第十章にも、類似した記述があります。

 

 

 さらに、『夜明け前』第十二章には、1874(明治7)年の献扇事件の描写があります。

 

 明治天皇の行幸の際に、自作の歌

 

 蟹の穴ふせぎとめずは高堤やがてくゆべき時なからめや

 

 

を書きつけた扇を投げ、逮捕された事件です。

 

 

 『夜明け前』の終の章で、馬籠の万福寺に放火した半蔵は、座敷牢に入れられ、そこで病み倒れて行きます。

 

 

 『島崎藤村全集 別巻』(1984年)の瀬沼茂樹編の年譜によれば、島崎藤村(本名春樹)が馬籠に生まれたのは、1872(明治5)年。

 

 父正樹が死んだのは、1886(明治19)年のことだそうです。

 

 

 

*『日本倫理思想史(四)』(岩波文庫、2012年)

 

 

 

 

**『長野県の歴史』(山川出版社、1997年)

 

 

***松田之利編『街道の日本史 29 名古屋・岐阜と中山道』(吉川弘文館、2004年)

 

 

****月刊『太陽』1972年3月号(特集 島崎藤村と木曽路)

 

 

*****『窪田空穂随筆集』(岩波文庫、1998年)