東郷克美「『眉かくしの霊』の顕現」*によれば、

 

 実生活の上ではともかく、小説家としての泉鏡花は、きわだった旅行家である。

 

 確かに、彼の代表作とされる『歌行燈』や「高野聖」も、旅の物語です。

 また、同論文によれば、

 

 鏡花は大の汽車好き・鉄道好きであった。

 

ということで、『歌行燈 』では関西線の桑名、「高野聖」**は北陸線の敦賀、「眉かくしの霊」**にも、次のように、中央線奈良井の駅が登場します。

 

 木曽街道、奈良井の駅は、中央線起点、飯田町より一五八哩二、海抜三二〇〇尺、と言出すより、膝栗毛を思ふ方が手取早く行旅の情を催させる。


 東郷克美前掲論文によれば、「眉かくしの霊」の物語の現在は、1923(大正12)年霜月の半ば。

 

 当時はまだ、中央線に「飯田町」の駅があり、営業距離もキロメートルではなく、マイル表示でした。

 

 ただ主人公は、中央線起点飯田町から乗車しているわけではなく、

 

 実は日数が少いのに、汽車の遊びを貪った旅行で、行途は上野から高崎、妙義山を見つつ、横川、熊の平、浅間を眺め、軽井沢、追分をすぎ、篠の井線に乗り替えて、姥捨田毎を窓から覗いて、泊まりは其処で松本が予定であった。

 

という、随分遠回りで、「汽車の遊びを貪った旅行」。

 現在でいうと「乗り鉄」という感じでしょうか。

 

 さて、彼は、木曽の桟橋、寝覚の床などを見学するつもりで、上松までの切符を持っていたにもかかわらず、

 

 むかし弥次郎、喜多八が、夕旅籠の蕎麦ニぜんに思い較べた。聊か仰山だが、不思議の縁と言うのはこれで―急に奈良井へ泊まってみたくなったのである。

 

ということで、奈良井で下車します。

 

 「いろ扱い」(1901年)***で、

 

 何遍読んでも飽きないと云へば、外のものも飽きないけれども、幾ら繰り返して見てもイヤにならなくて、どんなに読んでも頭痛のする時でも、快い気持ちになるのは、膝栗毛です。

 

 「小鼓吹」(1905年)***でも

 

 今更取出して申すではなきが、膝栗毛は、僕至極愛読の双紙、(略)枕許で煙草をのまぬ事はあれ、(略)お惣菜は欠かしても、三枚、五枚、これを読まぬことは先ず少ない

 

と言うように、泉鏡花は、膝栗毛の愛読者です。

 

 その膝栗毛の中で、中山道奈良井の宿が登場するのは、『続膝栗毛』七編下巻。

 

 かくてなら井の驛に著きたるに、はや日も西の山の端に傾きければ、両側の旅籠屋より、女共立ち出でて、

 

 今日、奈良井は重要伝統的建造物群保存地区。

 天保八年(1837)年に火災に遭っている****ため、『続膝栗毛七編』(1816年)の街並みというわけにはいきませんが、「眉かくしの霊」(1923年)当時の情緒を、感じることができます。


五万図「伊那」より鳥居峠
 左は、1931年(昭和六年)修正測図の五万分一地形図「伊那」。

 奈良井の町は、旧中山道沿いに長く伸びる、典型的な街村です。

 

 さて、地図の右上、中央線奈良井駅で下りた主人公は、

 

 鴨居の暗い楣づたいに、石ころ路を辿りながら、

 

この古い宿場町を歩きます。当時はまだ、石ころ路だったようですね。

 そして、

 

 旅のあわれを味おうと、硝子張りの旅館一、二軒を、故と避けて、軒に山駕籠と干葉を釣るし、土間の竈で、割木の日を焚く、侘しそうな旅篭屋

 

に、御免と入ります。 

 

 この「旅のあわれを味おうと」入った旅籠屋で、物語の主人公が遭遇するのが、「お化け」。

 

 地元奈良井の方にとっては迷惑な話かもしれませんが、生島遼一「番鳥夜講―鏡花の短編小説」*によれば、

 

 「眉かくしの霊」は鏡花怪異小説の一代表作

 

 この作品の怪異譚や、「旅のあわれを味」わうには、やはり、奈良井の古い街並みが必要だった気がします。



 

*『文学』第51巻第6号(岩波書店、1983年)

 

**『高野聖・眉かくしの霊』(岩波文庫、1936年)

 

***『泉鏡花随筆集』(岩波文庫、2013年)


****児玉幸多『中山道を行く』(中公文庫、1988年)