「四ッ家」から二股へ


 上は、大正元年測図・同四年発行の五万分一地形図「白馬嶽」です。

 

 当時、白馬岳「四ツ谷口」の登山道は、地図中央の集落細野を通って、左上の二股へと向かっていました。

 832m標高点の北、二つの沢の合流点が「二股(二俣)」です。


 高山館編『白馬嶽登山案内』(1919年)には、


 二つの澤が落ち合ふ所に出る左から来るのが南股澤で右から来るのが北股澤である。それが合流して松川となり、やがて姫川に注ぐのである。(略)此南股澤の将に北股澤に落ちんとする所に架けられているのが、二股の橋である。


二股橋 とあります。

 

 左画像は、「日本アルプス白馬岳 繪はがき 第一集」より、その「二股橋」です。

 

 なお、大町のアルプス自動車会社が、四ッ谷~ニ股間4.2kmの乗合自動車を開業するには、1928(昭和3)年*。

 それ以降は、この二股が、白馬岳の登山口となります。 


 登山道は、この橋で南股沢を渡って、北股に入り猿倉へ、あるいは南股に入って鑓温泉へと向かうことになるのですが、それについては、また次回ということにしたいと思います。

 

 *鐡道省編纂『全國乗合自動車総覽』(1934年)