画像は、陸地測量部「大正元年測圖同四年發行」の五万分一地形図「白馬嶽」です。
沢沿いの「小徑」は白馬岳の登山道。二股からは、北股入の右岸を進みます。
そして、等高線の描画が、現在の地形図と異なっているようですが、1200mの標高数値のあたりが「猿倉」ということになると思います。
この「猿倉」に地元北城村役場が休憩所をつくったのは、1924(大正13年)3月*。
同年8月発行の鐡道省『日本北アルプス登山案内』にも、
猿倉(細野青年會経営の休憩所がある)
とあります。経営にあたったのは、当時、白馬岳登山口だった細野集落の青年会です。
また、1931年に設けられた「北城村登山者休泊所並スキー小屋経営規程」**の第1条には
二 白馬岳猿倉休泊所
三 白馬落倉原スキー場村営スキー小屋
四 白馬細野スキー場村営スキー小屋
とありますから、村としての正式名称は「猿倉休泊所」だったということになるでしょうか。
「四 白馬細野スキー場村営小屋」は、図の右下。
「一 白馬岳頂上県設村営石室」は、図左中央の「村営小屋」で、現在の「白馬岳頂上宿舎」。
そして、図中央下の「猿倉小屋」の後身にあたるのが、現在の「村営猿倉荘 」です。
その猿倉荘まで、白馬町からの県道「白馬岳線」10.054km***が通じ、アルピコ交通の路線バス「猿倉線」が入って、というわけで、現在は、この猿倉が、白馬岳そして白馬鑓ヶ岳の登山口となっています。
*日本山岳会『山日記』(昭和18年)。
**長野県『長野県史 近代史料編 第10巻(二)』(1990年)
***白馬村『村勢要覧 2012統計資料 』