中学生の時、学校付近に連らなる細長い丘の列がどうしてできたのかに興味をもち、調べようとしたことがあるが、まるで手掛かりが得られなかった。しかし、大学に入って調べ方を勉び、その丘の列が小さい断層地塊列であることを知った。これがその後、地形学を専攻することになったのにつながっている。

 

 これは、貝塚爽平(1926~1998)『日本の地形-特質と由来-』(岩波新書、1977年)のまえがきの一節。貝塚先生は、前回取り上げた旧制桑名中学の卒業生で、東京都立大学で長く地形学者として活躍されました。

 

 では、貝塚先生が中学生の時に興味をもったという、「学校付近に連なる細長い丘の列」を、当時の地図で確認してみることにしましょう。

 

ピタゾーのブログ  

 

 

 

 

 

 

 

 

 上図は、「桑名市全圖 縮尺壹萬分之壹」ですが、桑名駅の西に、お寺の地図記号卍が二つ見えます。そのうちの右(東)が前々回取り上げた本妙寺で、その辺りの南北に細長い丘が一列目ということになるでしょうか。

 次に地図の中央北の記号卍(照源寺)の裏山から、墓地の地図記号(円妙寺墓地)にかけてが第二列。ただし、その先は、桑名中学の校舎と運動場の造成で、原地形が失われているようです。前回紹介した伊勢新聞社桑名支局『人物月旦』は、桑名中学の運動場を、「丘陵の背に廣がって」と書いていました。

 さらに桑名中学の西にも、もう一列、丘らしき等高線のまとまりが見えています。

 

 では、この「学校付近に連なる丘の列」の成因は何でしょうか。

 工業技術院地質調査所『桑名地域の地質』(1993)は、段丘面が桑名断層に伴う数本の副断層によって切られているとした上で、

 

 比高5-20m・東上がりの逆向き断層崖が4列形成されている。

 

と指摘しています。また、政府の地震調査研究推進本部「養老-桑名-四日市断層帯の評価」(2001年公表、2005年変更)*は、桑名断層に付随する副断層として

 

 桑名断層の南端部の西側隆起部には、幅2 km にわたって、長さ2 km 程度の複数の断層が平行する断層群(桑名断層群)が分布する。

 

と書いています。従って、この桑名断層に伴う副断層が、貝塚先生の言われる「学校付近に連なる細長い丘の列」、つまり「断層地塊列」の成因ということになるのでしょうね。

  

 養老断層から桑名、四日市と続く大断層帯は、天正地震(1586年)を引き起こした活断層の最有力候補**であり、さらに、天平地震(745年)についても可能性が高いと指摘されています***。

 

 とすると、両地震の発生間隔は841年。今年は2013年ですから、まだまだ当分大丈夫という気もしますが、学校や病院といった公共施設は、用心するに越したことはない、という気もします。

 

 たとえば、四日市市の河原田小学校は、旧校舎2棟の真下と南北に四日市断層が通っていることが分かったので、当初の計画を変更し、2棟とも取り壊し、もともと運動場だった場所に、新校舎を建設****したそうです。

 

 旧制桑名中学の後身、桑名高校も、国土地理院1:25000都市圏活断層図「桑名」(平成8年)で見る限りは、校舎の真下を南北に桑名断層群の一つが縦断しているようです。今度校舎を改築される際には、専門家による調査を行い、断層線をはずした方が、無難かもしれません。


 

http://www.jishin.go.jp/main/chousa/katsudansou_pdf/67_yoro_kuwana_yokkaichi.pdf

**岡田篤正「天正地震とこれを引き起こした活断層」(『活断層研究』第35号、2011年9月)http://danso.env.nagoya-u.ac.jp/jsafr/documents/AFR035_001_013.pdf

 

***須貝俊彦「1586年天正地震養老断層震源説を示唆する地形地質学的記録(『活断層研究』第35号、2011年9月)http://danso.env.nagoya-u.ac.jp/jsafr/documents/AFR035_015_028.pdf

 

****広報よっかいち2013年4月上旬号(http://www5.city.yokkaichi.mie.jp/secure/51094/0809_2.pdf