(前回「竹内街道:古市から上ノ太子へ(前)」より続く)

 

 駒ヶ谷から竹内街道を歩き、上ノ太子駅に向かいました。

 

 

 竹内街道は、文化庁が認定する「日本遺産」。

 

 同庁の日本遺産ポータルサイト「竹内街道」によれば、河内と飛鳥を結ぶ、古くからの「大道」であり、江戸時代には、関西と伊勢神宮をつなぐ「お蔭参り」の道。

 

 

 現地に立つ案内板に、

 

 私たち駒ヶ谷地区は。歴史ある竹内街道の景観を大切にしています

 

と書かれているように、

 

 

道中には地蔵堂や

 

 

旧家が見られ、

 

 

竹内街道の歴史を感じさせます。

 

 

 そして、飛鳥川に架かる月読橋には、

 

 

北詰(右岸)に「大神宮」、

 

 

南詰(左岸)に「金毘羅大権現」と彫られた石灯籠も。

 

 

 秋里籬島『河内名所圖會』(1801年)によれば、

 

古市村より東八町斗ありて浪速より大和街道竹内峠(略)牛市あり他國より牛を多く牽き來り(略)駒谷の牛市といふ

 

 駒ヶ谷小学校横に立つ案内板「竹内街道と駒ヶ谷」にも、

 

 春と秋に開かれる牛市は広く知られ、おもに中国各地から集められた牛が、多いときには600頭も取り引きされて、河内はもとより和泉や大和の村々に売られてゆき、農作業の支えとなりました。

 

 かつての駒ヶ谷は、牛市で知られていたようです。

 

 

 

 続けては、やはり駒ヶ谷地区で見つけた「八丁地蔵尊」。

 

 後方を走り抜けていくのは、近鉄南大阪線の普通列車です。

 

 

 さて、さらに竹内街道を南東に歩いていくと、駒ヶ谷地区の飛鳥の集落に入り、

 

 

上ノ太子(かみのたいし)駅が見えてきました。

 

 同駅は、1929年3月29日、当時の大阪鐵道株式會社が古市久米寺間の運輸を開始した際に開業*。

 

 当時の所在地は、大阪府南河内郡駒ヶ谷村大字飛鳥*、 

 

 

現在は、大阪府羽曳野市飛鳥です。

 

*内閣印刷局『官報』第690號(1929年4月20日)