おはようございます 京都の小次郎です
今回の「小次郎の京散歩」は、5月に撮影させていただいた京都市東山区にある「崇徳天皇」(すとくてんのう)御廟の夜の様子をご覧いただこうと思います。
崇徳天皇は平安時代後期、元永二七年(1119年)に鳥羽天皇の第一皇子として誕生されました。
祖父は院政を始めたことで知られている白河天皇、崇徳天皇はこの白河天皇の子とされる逸話(真偽のほどは不明)があり、父親である鳥羽上皇からは疎まれていたそうです。
保安四年(1123年)に即位した崇徳天皇は、鳥羽上皇により近衛天皇に譲位をしいられ永治元年(1141年)に退位しました。
近衛天皇の死後も自分の子を即位させることができず、保元元年(1156年)に『保元の乱』を起こしましたが、後白河天皇に敗れ讃岐に配流されました。
配流先での崇徳上皇は戦死者の供養と反省の証として写経を行ない都に送りますが、後白河天皇に「呪いがかかっているのではないか」と奉納を拒否されてしまいます。
心を込めて書いた写経が送り返されたことに激怒した崇徳上皇は舌を噛み切り、その血で「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」 「この経を魔道に回向す」と書いて亡くなったそうです。
その後は武家が台頭し、朝廷の権力は落ち幕府によって政治の実権が奪われることになります。
史上最強の怨霊といわれている崇徳天皇の御廟は、祇園花見小路甲部歌舞錬場の東側にあります。




