おはようございます 京都の小次郎です

 

ゴールデンウィークも3日目を迎えましたが、皆さんはどのようにお過ごしでしょうか。

 

せっかくのゴールデンウィークだというのに小次郎の体調不良は一向に回復しそうにありません。

 

 

さて、今回の京散歩画像も4月中旬に撮影させていただいた北野天満宮の境内をお届けします。

 

 

 

 

 

昨日のブログで北野天満宮のご祭神である「菅原道真」(すがわらのみちざね)が、「祟徳天皇」(すとくてんのう)や「平将門」(たいらのまさかど)と並ぶ怨霊として恐れられる一人であることを書きましたので、今回は菅原道真の怖い話を少しだけ…

 

菅原道真は「宇多天皇」に仕え『寛平の治』を支えたひとりで、後の「醍醐天皇」のもとでは右大臣にまで昇進したにもかかわらず、左大臣であった「藤原時平」(ふじわらのときひら)に讒訴(ざんそ:虚偽の告訴)され、九州の太宰府へ左遷されました。

 

道真の子供達は流刑となり、道真は失意のうちに延喜三年(903年)二月二十五日に配流先の大宰府で亡くなりました。

 

北野天満宮の「北の天神縁起」などによると、菅原道真が死んで幾月も経たないある夏の夜に道真の霊魂が比叡山の僧坊に現れて、「尊意」(そんい:道真が仏教を学んだ師)にこれから都に出没し、怨みを復讐ではらすので邪魔をしないようにとのお願いをしたそうです。

 

その後、道真配流の首謀者のひとりであった「藤原菅根」(ふじわらのすがね)をはじめ、道真配流の張本人であった「藤原時平」(ふじわらのときひら)の命を奪った道真の霊は、時平の子孫たちを次々と死に追いやり、遂には「醍醐天皇」の皇太子の命までも…。

 

この菅原道真の怨霊を鎮めるために建てられた『御霊神社』が北野天満宮です。

 

 

理不尽な処置で人を死に追いやれば、その『怨霊』はその罪を犯した人すべてに報復を加え、ついには最高責任者をも殺しかねないというお話でした。