おはようございます 京都の小次郎です
今日は2017年11月3日 金曜日 会社勤めの方は今日から三連休という方も多いのでしょうね。
小次郎は昨日から耳鳴りが再発してしまったので、この三日間は溜まっている仕事もできそうにありません。
この機会に、ゆっくりと療養する(安静にしている?)ことにしました。
耳鳴りが治まったら海を見に行ってこようと思っていますが…。
さて、今回も前回に引き続いて京都府京都市北区等持院北町の「等持院」(とうじいん)をご紹介します。
臨済宗天龍寺派の等持院は、室町幕府を開いた「足利尊氏」(あしかがたかうじ)が暦応四年(1341年)に「夢窓疎石」(むそうそせき/夢窓国師)を開山に創建したのが始まりです。
当初は洛中にあった「等持寺」(とうじじ)の別院として「北等持寺」と呼ばれていましたが、足利尊氏の死後はその墓所とされ足利家の菩提寺として発展しましたが、室町幕府の衰退とともに荒廃していったようです。
荒廃した等持院は、「豊臣秀頼」(とよとみひでより)によって慶長十一年(1606年)に復興されたそうです。
現在の方丈は、元和二年(1616年)に「妙心寺」(みょうしんじ)の塔頭「海福院」(かいふくいん)から移築されたものです。

等持院の庭園は方丈の北にある足利尊氏の墓を境にして、東西二つの池を中心とした庭に分かれています。
東の庭園は夢窓疎石が作庭したといわれていますが、はっきりしたことはわかっていません。
方丈の北にある西の庭園もその起源は、東の庭園と同様にはっきりしたことはわかっていません。
西の庭園の丘には、「足利義政」(あしかがよしまさ)が建てたといわれる茶室「清漣亭」(せいれんてい)があります。
いかがですか…等持院の庭園は小次郎お薦めの庭のひとつです。
「小次郎の京散歩」は京都の観光ブログを目指しているわけではありませんが、京の街を観光される際の参考にしていただけたら幸いです。
次回のブログ告知は控えさせていただきます(笑)




