何から書いていいのやら。
昨日まで疲れで油断するとすぐに眠ってしまっていた。
快適なホテル暮らしも今日で7日目。
先週末、
一年で一番大切な日が終わった。
7月22日、
一年で一番大切な日。
特に今年のこの日はこれ以上に大切な予定なんてあるワケがない。
様々な葛藤の末に広島(江波)に行けなかったのならこのご時世ゆえ仕方ないが明らかにこの日を軽んじながらもミッシェル好きなんです〜みたいなペラっペラのハリボテ野郎とは分かり合えることは恐らく無い。
(親族でも無いのに的なのも論外←行かない言い訳だとしか思わない)
だから7月22日にあの場にいらっしゃった方はその前にあの場所に花を手向けに行かれた方、
当然だとは言え同志として敬意を払います。
・・・前置き終わり(笑)
1日目。
今年広島クアトロでDJした時の3月8日のブログに書いていた少年が、
「HE GOT THE SUN.」初日の命日の爆音追悼会にお父さんお母さんと共にBar SEA CAKE STYLEに来てくれてこれをくれた。
クアトロで「THEE MOVIE」を見たのちに設置していたフライヤーを見て「夏に僕も行っても大丈夫ですか?」って聞いてきた少年、
帰宅したのちに水耕栽培で育ててくれたらしい。
それをラッピングして持って来てくれた。
こんなに可愛らしい向日葵を今までに見たことが無い。
そして若い彼は今後あのマシンガン・ギタリストのことを語り継いでくれるだろう。
2日目。
命日の次の日。
もう二度と映画館で観られることは無いかもしれない「THEE MOVIE」。
涙無しには見れないあの映画。
沢山の方が観に来てくださった。
2公演とも観て下さった方もいらっしゃった。
賛同して下さりありがとうございました。
3日目。
最後の展示。
オープンから沢山の方が来てくれた。
コロナ禍ではなかった5年前の展示より多くの人がひっきりなしに来て下さった。
ありがたかった。
あの場所の花が凄いことになっているとの知らせも聞けた。
目的地「江波」を考慮した開催場所に拘った甲斐があった。
しかも途中に親族の方が来てらっしゃる時、
チバのあの写真が投下されたことを親族の方から告げられた。
関係ないかもしれないが24日の4号機等の展示についてチバユウスケには案内状(ファンレター?)を送っていた。
命日の22日ではなく24日にチバがあの写真を投下したこと、
勘違いかもしれないが勘違いしておこうと思う。
(送って下さった皆さんもありがとうございました。)
全力でやると言うのならその崇敬の対象に全血を注いだものでなければならない。
自分たちが楽しむためではなく全ての事象を鑑みたものでなければならない。
笑いよりも痛み。
悼み。
5年前の夏に決まった今年の企画。
親族の方との涙の約束が果たせて良かった。
親族の方から感謝をされたが感謝するのはこちらの方だ。
ご協力が無ければあんな素晴らしい展示は出来なかった。
4号機と3号機に加えて私服やジラール・ペルゴやプライベートとか若かりし頃のアベフトシの写真は親族のご協力が無ければあり得なかった。
本当にありがとうございました。
来られた方はお分かりだとは思いますが控え目に言ってあの展示を見られた方は優勝でしょう。
あのステージ上の情景を1日で終わらせるのが勿体無くて終わる頃は少し寂しかった。
終了まで残られていた大勢の皆さんも名残惜しかったのではないでしょうか。
先の見えない状況でも奮い立たせてくれた飽きることも色褪せることもないあのマシンガン・ギターの音。
聴けば直ぐにネガティブな思考を切り裂いてくれるあのギターは同時にもう居ないという悔恨の念を抱かせるもの。
諸刃の剣だけど聴かずにはいられないあの音色。
でも世間の流れは無常で。
それでも世界を終わらせるワケにはいかない。
無事出来て良かった。
少しは貢献できたと思う。
こんな世の中でも大勢の方が来て下さったし話題にして下さったし。
アベフトシ追悼会「HE GOT THE SUN.」
会場をお貸しいただいたSEA CAKE STYLE様と横川シネマ様とヲルガン座様のお店の皆様、
スタッフとして動いてくれたMERCYにeijiくんにリーダー、
展示の許可を下さったアベフトシの御親族、
能野哲彦様と鮎川誠様と株式会社アスコン様、
そしてこの特別な週末に参加してくださった皆さんに感謝します。
ありがとうございました。
アベフトシさん、
今までもずっと心狂わせて憂鬱をブチ壊して下さりありがとうございました。
この先もずっと大好きです。