今回の記事は、私がまだ高校生だった頃の、夏にまつわる思い出話。

まぁ大した話ではなく、ブログテーマの釣りやモデルカー製作には全く関係無い無駄話なのだが、いかんせんネタ不足のブログ主なので、過去の記憶に頼って書こうと思う。

またいつものようなくだらない話だが、そんなのでよければ、エブリバディ達またよろしく…。





※これは実話です








あれは1990年代初頭の、暑い夏の日のこと。
まだ高校生だった私は、同じクラスの男女グループで、近くの海へ遊びに行っていた。

その時のメンツは、数人のイケてる男子と、明るくて可愛い女子数名がメインのグループ。そこのオマケのような存在だった私は、その集団の端っこの方で、まるで背後霊のように皆のあとをついて行っていた。
このメンバーの中には、私が当時密かに恋心を寄せていた、私と同じ種目の運動クラブで同じポジションだった◯ーちゃんも居た。◯ーちゃんは私のような目立たない者にも気軽に声をかけてくれる子で、同じクラブ活動なので接点も多く、私にとって話しやすい存在だった。
そんな◯ーちゃんの、泳ぎ用に着ていたTシャツの下のビキニ👙がチラリと見えて、やたらと眩しかったのを覚えている。


さて、そんなメンバーでの海遊びだが、砂浜で男女仲良くビーチボールなどでキャイキャイと遊ぶ…というわけでは無い。田舎モンの我々が海で遊ぶといえば、いつも地元漁港の近くの磯で泳ぎ、潜って貝やタコを採り、そして焚き火をして焼いて食べたりしていた。(ま、時効ということで…😅)

だが、この日のメインイベントは"飛び込み"だった。

高校生の年代といえば、何かにつけてイキリたいお年頃。そんな我々の通う学校内では度胸試しとして、漁港の近くにある高い橋の上から飛び降りるのが流行り始めていた。
そして、ビビって飛ばない奴は"腰抜け"の烙印を押され、学校内で嘲笑される運命だった。

そしてこの日、私も飛び込みに初挑戦する流れとなった。
根っからのチキンクリスピー野郎な私だが、それでもやはり男の子ゆえに、腰抜け呼ばわりされる不名誉だけは避けたかった。
それに加えて今回は女子の前…それも密かにゾッコンLOVEだった◯ーちゃんの前である。高所から飛びたい気持ちなど微塵も無かったが、やはり飛ばないわけにはいかなかった。

"何らかの事情で、飛び込みが無くなればなれば良いのになぁ…"という私の願いもむなしく、その時はあっという間にやって来た。

「よし、飛び込みやろうぜ!」という誰かの掛け声で、男子は橋の上の中央部まで移動。この橋は車もバンバン通る、なかなかの大きさと高さの橋である。
そして女子は橋の下付近で、飛び込む男子の様子を見ることになった。

まずはイケイケ野郎の同級生が先頭で勢いよく飛び込み、続いて二番手そして三番手と、どんどん飛び込んで行った。

そして、本当にあっという間に、自分の番が回ってきた。



"I believe I can fly…"

欄干の外側に立った私はそんな事を呟き、数回の
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って‼︎」
という見苦しい粘りの後、意を決して飛んだ。

















…それは、飛んだというか、落ちたというのが正しいだろうか。私は必死の思いで、橋の欄干を掴んでいた手を離し、無様に空中でもがきながら落下した。
水面までの高さは7〜8メートルはあっただろうか。着水時に海面に叩きつけたのであろう腕と脇腹辺りがとても痛かった。
だがそれよりも、なんとか飛べた事の喜びと、自分の面子を保てた安堵感の方が強かった。
"勇気を出したオイラの姿、見てくれたかい?◯ーちゃん…"
そう思っていた私の鼻は、着水の衝撃で海水が突き抜けてツーンと痛かったが、この時はそれすらも心地良く感じられた。

そして、前もって投げ込んでいた浮き輪に捕まって海面に浮かび、他の者が飛び込んで来る様子を橋の下から見上げていた時、思いもよらぬ異変が起きた。









飛び込み順の最後には、このグループ内で度胸自慢のイケてる男子数名がスタンバイしていた。
そして、いよいよ派手に飛び込もうとしていた彼らの後ろを通りがかった一台の車が急停車し、降りてきた二人組が、彼らに向かって何やら言い始めた。

ここまで読み進めてくれた読者様の中には、「ははーん。その車はパ◯カーで、二人組というのは注意しに来た警◯官というオチだろう⁈」と予想された方もいらっしゃるかもしれないが、現実は違った。






































車から降りてきた二人組は、見るからに自由な稼業…いわゆるアチラの世界の人だった。
痩せ型の若手チ◯ピラと恰幅の良い兄貴分とみられるアンダーグラウンドコンビが、橋の上で待機していた飛び込み間際の同級生達に、突然因縁をつけてきたのだった。

先に飛び込んで浮かんでいた我々は、突然の事にあっけに取られ、海面に浮かびながら様子を見ていた。
すると突然、若手◯ンピラが「ガキにここまで根性見せられて、黙っていられるかい‼︎ 兄貴ィ、コイツらに見せつけてやろうぜ‼︎」と叫び、服を脱ぎ出した。
この若手チ◯ピラは、どうやら我々に度胸試しを見せつけられたと感じたようで、それが非常にお気に召さなかった様子だった。

イキリたった若手チンピ◯にそう言われた兄貴分は、明らかにめんどくさそうだったが、立場上自分もやらない訳にはいかなくなったようで、渋々服を脱ぎ出した。
このアンダーグラウンドコンビの身体には二人共に、肩や背中周りに和風のお絵描きがされており、我々に"おいおい、こりゃ本物だぞ😨"と思わせた。

そしてパンツ一丁になった若手チン◯ラは、何の迷いも戸惑いも無く橋の手摺りの上に立ち上がり、そこから更に高くジャンプして飛び込んだ。それは我々の中では最上級難易度の飛び込み方であり、誰もが"やはりモノホン、流石の根性だなや。"と唸った。
その次に兄貴分が飛び込んで来た。コチラは私と同様の、オーソドックスな一般的スタイルの飛び込み方だったが、それでもやはり躊躇なく飛び込む姿に、彼等の肝の座り方の違いを見せつけられた思いがした。


そして海面に浮かんでいた私の近くに、飛び込んだ兄貴分が泳いで来た。先に飛び込んだ若手◯ンピラと違い、ポッチャリ体型の兄貴分は泳ぎがやや苦手なようで、岸まで泳ぐのがかなり辛そうに見えた。
そこで天性の太鼓持ち体質である私は、兄貴分に「よかったら浮き輪につかまります?」と声をかけた。
今思えば、"浮き輪につかまれだと?貴様、このワシを馬鹿にしとるんかい‼︎"と言われる危険もあったが、幸いにも兄貴分は「…おう、ありがとな。」と素直に言い、私と二人でミッキーの浮き輪に半分こでつかまりながら泳ぎ、一緒に岸を目指した。



そして上陸直前。
兄貴分は若手◯ンピラに見られる前にサッと浮き輪を離れ、あたかもここまで自分一人で泳いで来たかのようにシレッと上陸した。どうやら若手チ◯ピラに浮き輪プカプカ姿を見られるのは都合が悪いらしかった。
代わりに私が若手◯ンピラに「なんやお前、そんなモンにつかまっとんのかぃ!情けないのぉ‼︎」みたいなことを言われたが、兄貴分は助けてもくれず知らん顔をしていて、私はただただ理不尽な思いをし、そして世の中の非情さを少しだけ知った。



皆が上陸した後は、濡れた身体を乾かすべく日向ぼっこをした。
その間、高校生だった我々は「いやぁ〜兄さん達、凄いッスよ!いきなりあんな風に飛べるなんて、普通は絶対できないッスよ‼︎」と、ヤ◯ザ二人を持ち上げながら、少しの間会話をした。
若手チンピラは「フン、あんなモン楽勝じゃい‼︎」
と終始息巻いていた。
だが最後に「…でもまぁ、お前らも根性あるよ。」とひとこと言い残し、そして二人で引き上げて行った。


そんな夏の日の思い出…。青春の日々の一コマだった。









あれから三十年以上の年月が経った。
この時のメンバーとは、ただ一人を除いて、今はもう会うことは無くなった。


この三十年の間、私の人生も色々あった。
過ぎ去った日々の間には、決断しなければいけない瞬間や、勇気を出さなければいけない瞬間もあった。
例えば先日(…ちょっと大袈裟だが)、会社で資格試験に挑戦してみるか否かを上司に問われた時に、自ら"ワイ、やります!"と手を挙げた時もそうだった。


私が何かで弱気になった時、あの日あの若手チ◯ピラが言った、
「お前らも根性あるよ。」
という言葉が、これまで何度も背中を押してくれたのは、紛れもない事実である。

人生、何が役に立つかわからない。
大事なことは学校だけでなく、意外とそんなところでもたくさん学んだ気がする。そんな私だった。おそまつ😙