みなさま こんばんわんこそば☆
わんこそばは中学の修学旅行で食べたきりでございやす。また食べたい。


●古墳巫女、ハートの鍵、聖徳太子
http://ameblo.jp/pirori-nu/entry-11579824660.html
のつづきなのですがね、

「聖徳太子」をヘミシンクでいうところの
探索をしてたら「ワニ」って二回でてきたもので

素直に「聖徳太子・ワニ」で検索したら
出てきたこの本のタイトルに驚きつつも
閃くところがありまして、
アマゾンで注文して来たので早速読んだところ

聖徳太子は蘇我入鹿である (ワニ文庫)/ベストセラーズ

¥580
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私の中の結論としては
聖徳太子=蘇我入鹿=蘇我善徳
なのだなぁーと思います。
私にしてはかなりの確信を持ってそう思います。


゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚


このブログの記念すべき(笑) 第一回に
「古代少年ミツシ」という男の子が出てきまして
私の過去世なのですけど

http://ameblo.jp/pirori-nu/entry-10448898623.html

http://ameblo.jp/pirori-nu/entry-10452598054.html

このコは、当時の大王=蘇我馬子 に命ぜられて
全国の霊的な場を鎮める旅に出てたのですよ。
とりすました天皇に命ぜられたわけではないのです。


それで、その問題のある土地に行くじゃないですか
そうしますと、板になにか文字をかいて
何十個も土に刺しまして
その土地を封印してたのです。


封印というのは今になって思うとよくないのですが
こういうことが必要な時代だったようです。


あとは自分が霊的な龍になって
霊的な大蛇と戦ったりしたんですよ。
それで早死にしたんですけどね。

まぁ、ホントかよーと思うかもですが
そういう記憶が出てきたのです。

ちなみにミツシはまだ戦いっぱなしになってます。
ヘミシンクでいうところのレトリーバルを
すべきかと最初は考えたのですが

事も大きいですし
それだけではどうも解決しないようなので
今のところ流れに身を任せております^^;


゚・*:.。..。.:*・゚゚・*:.。..。.:*・゚

この時には私の所属する国のようなものの
大王は馬子だったと思います。

馬子は、髭面の恰幅のいい気さくな大王でして、
そのへんは、山岸先生の聖徳太子漫画「日出処の天子」にでてくる
馬子と似ておりますが、もっと威厳があったかも。


さらに「聖徳太子は蘇我入鹿である」の本の中に 
蘇我氏も物部氏もルーツは出雲とありまして
古代少年ミツシは最初登場したときに
あとから気がついたのですが
出雲の山々の上空を飛んでたもので これも納得なのです。
なんでここが出雲かとわかったかというと
出雲に実際行ってみたらわかったのですよ。


第一回の記事の絵↓ 古代少年ミツシ
ピロのスピ☆日記
私の過去世で名前がわかってるのって珍しいのですよ。


あと現存してないけど
出雲大社にあったとされる巨大な神殿の建造物は
私の記憶では建造物の後ろにある山が
とても光ってて重要なものだったので、そのパワーを利用した
建造物だったのです。
それは、聖徳太子(蘇我善徳)が指示して造ったものなのですけどねぇ・・。

そんなことが書いてある過去の記事↓
●出雲大社に行ってきました1
http://ameblo.jp/pirori-nu/entry-11092221744.html



聖徳太子は後世の人が恐れてつけた名称でありますが、
私にとっては、善徳っていうのが一番しっくりくる名前であります。

飛鳥寺の最初の責任者が善徳ということなのですが
この本の説明を読まれますと
聖徳太子=蘇我入鹿=蘇我善徳
という根拠がわかりますので
気になる方は読んでくださいまし。


しかし入鹿っていうのは、あまりしっくりこないなぁ。なぜだろうか。
情報操作であまりに悪役になってしまっているので
そのせいかしら。

聖徳太子(善徳)は本にもありますが
理想の社会を創ろうとしたんですよ。
出雲 スサノオ ニギハヤヒの流れで
精神性の高い国家を創ろうとしていた
のです。

だけど強引は強引だったのかもしれません。
敵も多かったですからね。

それで大化の改新で聖徳太子(入鹿)は
中大兄皇子に殺されたとのことなのですが

ううーーん、そこが不思議というか納得できない部分でありまして
あの神童の様な中大兄皇子がホントに??と思ってしまうのですよね。


そのあたりを新たに探索してみますと
寂しそうな大人になった中大兄皇子(天智天皇)
出てくるのですよ。髭生えてて濃い顔立ちでして
孤独で寂しそうなのです。しかもなぜか周りに人が見当たらないんですよね。
この件に関しては後々わかってくることがあったら
また記事にしようかと思います。


話を聖徳太子に戻しますと

お堂みたいな板の間に
当時のシャーマン部隊(私もその中にいた)を集めて
そこで政治的な話をしたり

中国大陸からきた僧を招いたり
色んなことをしてたのですよ。

●皇子が!!! の記事
http://ameblo.jp/pirori-nu/entry-10848729726.html
なんと2011.4の記事ですわ。昔だなぁ。
昔の記事ながらに味のあることが書いてありますな。



そして、私が知るところの聖徳太子にアクセスしてみて
毎回繋がるわけではないのですが

数日前の明け方変性意識のときにちょっと繋がったのです。
それで「太子は 善徳なのですか?」と聞いたら

私の意識の端っこでキャッチしたのですが
「わははは~ そうなんだよね~」
だって。

豪快で陽気なんですわ。

でもね、元気そうでよかったなぁ・・・。
じーんとしました。

ついでに「敬語使うな」って言ってました。
意外な言葉です。そ、そんなこと言われても(笑)

ん、でも「対等であれ」ということなのかもしれませんね。
上下をつくらないようにという配慮なのでしょう。

しかし歴史は歪められてるものですね
とくに聖徳太子関連は。

蘇我 善徳(そが の ぜんとこ)ぜんとこって読むのだそうです。
ちなみにwikiもあります →wiki


私としては、過去の記事との繋がり具合がハンパないので
密かに驚いております。
私も総決算の時期だということでしょうかね。


あ、あと はるちゃんの言ったとおり
ミツシもニギハヤヒのシャーマンでした!!!

はうぅーはるちゃんすごいわ。



このシリーズはつづきます ではまたクローバー