お久しぶりです。飯田達郎さんと吉原光夫さんが舞台に出て居なかった2023年秋から2024年2月まで冬眠してました🧸!!嘘です!!ここぞとばかりに色んなミュージカルみまくってました!!「推しの居ぬ間に洗濯」👹です♪

てかむしろ「推ししか観ない」「推しの出てる作品しか観ない」って行動は私には信じられないんですよね。

「観劇」が趣味なのに推しが出てないなら観劇自体しないなんて...世の中には素晴らしい作品が沢山あるのに見ないなんてもったいないわ!!(CV:ベル)

 

【飯田達郎さんビーストデビュー】

2024年2月12日(祝)飯田達郎さんがビーストデビューされました。こうやってブログに文字化して気づいたんですが『(㊗️)』にデビューするんですよ?飯田達郎さん持ってますよね?普通デビューってよくあるのは土曜マチネ、最近ままあっても平日マチネとかですよね?

ハッピーマンデーされた『(㊗️)』にデビューするとかどんだけ祝福される星の元にお生まれになってるんです???

んでビーストですよ。たまたま2週間前にお兄様の飯田洋輔さんの退団後初コンサートに仙台まで行きまして、ご自身の歴代持ち役を順に歌っていくという神セトリで「愛せぬならば」も歌われたんですが…まぁ上手いなんて陳腐な言葉では言い表せぬほど上手い!!この上手さを言い表せぬならば!!(←表せぬならどうすんだ)。

洋輔さんにしか歌えぬ「元劇団四季ヴォーカルクラシックの飯田洋輔ここにあり」って圧巻の歌声だったんです。飯田洋輔さん退団してしまったのでもうこんな声質で、特にクラシックな発声で深く響かせて歌ってくれるビーストなんて現れないじゃん…て涙が出ましたよ。こっちが涙流してるのに舞台では生オケでの「ロングトーンのやめ時」を見失った飯田洋輔氏の「この身をーーーーーーー!!」がまだまだ続いておりましたが(笑)

あ、ちなみにロングトーンの前のブレスが「滅ぼせよ(v)この身をーーーーー!!」となるのが飯田洋輔さんの凄いところですね。ハイこれ後でテストに出ます😇

んでその2週間後に飯田達郎さんのビーストデビューですよ。前日に発表されて翌日舞浜駆けつけて、緊張してマクドナルドのWチーズバーガーセットしか完食出来ずにアンフィに到着しましたよ🍔

キャスボ撮影に作られる長蛇の列。そりゃあの飯田達郎さんのビーストデビューですからみんな「キャスボ引きで撮って📷」「『飯田達郎』部分寄りで撮って📷」ってやりますよね♪

 

【飯田達郎さんビーストの「威厳」にビックリ】

ビーストって舞浜版になってからお顔の造形もお衣装もより「可愛さ」に寄った気がしていまして、他のビーストの方々はテノール音域の地声の高い方が多かったてのもありまして、これまでは第一声の「だれだそいつは」というエフェクトも掛かった脅し部分以外はビーストの「威厳」「怖さ」って旧演出版より無い演出なのかと思っておりましたが…飯田達郎さん「怖い!」「威厳がある!」「威圧感がある!」😱ってビックリしました。演じる方によりビーストを割と「幼い」と取るレポもこれまでチラホラ見ていたのもあって登場時からこのギャップにビックリしました。

てか一度しか見てないけど旧演出版の佐野さんもこれぐらい怖かったなぁと。

セリフに「威厳」と「品格」が出るので「私がこの城の主(あるじ)だ」とか重々しいセリフが全部イメージにハマりまくるのですよ。そして達郎さんの「ノートルダムの鐘」カジモドに慣れている観客は「飯田洋輔さん?洋輔さんの声???」ってなってしまうほどカジモドとは違う声です。

でも「オペラ座の怪人」ラウルに慣れている観客は達郎さんラウルの「だが小賢しいやつめ…今度災いが襲い掛かるのはお前の方だ!!」の声のレンジに近いんですよ。ちょっと意味分からないですよね?何でカジモドの声出せる人がこんな地獄の底から響くようなバリトンの声で威厳が出せるのか

飯田達郎さんだからなんですよね?意味わかんないけど😇

 

【1幕 飯田達郎さんのビースト考察】

(ここからはデビュー日から3月3日までの観劇で観た印象と考察が入ります)

私ビーストって「何を望み」「何に絶望しているのか」「『愛せぬならば』の歌詞とシチュエーション一致してる?」ってところがふんわり分かってませんでした。

だから「脚本解釈解像度日本一」と勝手に思っている飯田達郎先生のビーストが見られるのをまるで「アーサー王伝説」の朗読が始まる瞬間のようにワクワクしておりました。

前提として

🥀「美女」と訳されているが英語圏では「ベル」と聞けば「美人さん」のWミーニングである

🥀魔女は「人を見かけで判断せぬように」とビーストに呪いを掛けた

🥀その呪いの元となる醜い老婆拒絶ムーブ以外は王子は傲慢ではあっても気難しいわけでも社交性が無いわけでもなかったよね?

というこの物語でよくミスリードされてしまいがちなところを意識してみました。

達郎さんのビーストって元々は実写映画版のように美しいお城で舞踏会とか開いて社交的に楽しく過ごしていた王子オーラが感じられる。だからゲストで来ていたマダム・ブーシュもたまたま巻き添え食って魔法に掛かっちゃったんだろうなぁと。

なので「すぐに癇癪を起こして召使たちが怯える」は魔法のせいであり、野獣の外見だけでなく「本能」がビーストの感情や行動も支配して召使たちに対する態度も王子だった頃とは変わってしまったんだろうなと思います。

ベルに夕食への誘いをコテンパンに拒否される場面もコミカルではあるものの「野獣の本能」と内側で戦いながら「最後のチャンス」であるこの見た目は綺麗だけど頑固な女性に愛されるには何をしたら良いのか?と逡巡するさまが愛おしくもあり哀しい。

ベルに拒絶され、その間にもすごい勢いで花びらを落とすバラに焦り、ベルについ乱暴な態度を取ったことで誤解されビーストの元からは「最後の望み」が逃げ出してしまう。

 

【飯田達郎さんの「愛せぬならば」】

この状況でビーストが歌うのがこのナンバー。

友人が訳詞に疑問を呈し、私も「本来は実写映画版のように2幕ベルを返す場面でガストン襲撃前に歌うのが合ってるんじゃない?(要は「ひそかな夢」)」て思ってました。

文語体で詩的でとても美しいこのナンバー、外部の俳優さんもコンサートやアルバムに必ずみんな入れたがるみんな大好き「愛せぬならば」。

その超意訳されたナンバーを飯田達郎さんで観たら

🥀それまで「紳士的に」と表面的にベルに気に入ってもらおうとしたが拒絶され改めて認識した自分の醜さ

🥀そもそもこんなに呪いが進行して今さら誰かの「愛」を得ようとあがく自らの愚かしさ

🥀王子であったころからの自分の行動がそのまま自分の呪いに返って来ているという皮肉と自責

🥀どうしたら愛を得られるというのか、もし得られないなら「獣」として生き永らえるよりもせめて「人間」として死にたいという絶望

がナンバーの一節一節一語一語からひしひしと伝わって来ました。

ビーストの「覚悟」のような訳詞になっているけどこれはビーストの過去がもたらした「究極の自業自得」への「絶望」なんだなぁと腑に落ちました。

技術的な面については、飯田洋輔さんにしか出せないと思っていたクラシックな深みのある深い声が飯田達郎さんの身体から響き、洋輔さんはもっともっと「ノーブルみ」が強いのに対し「エモーショナル」とも言える達郎さんの「感情がそのまま声になった」ような嘆きが劇場を震わせます。特に「彼女の愛が、我が『呪い』を解き『放つ』ことが出来ぬのなら」の部分!!ここは洋輔さんもカッコよかったんですが達郎さんもこの部分エグイです。神です。

そして「滅ぼせよ(v)この身をーーーーー!!」のロングトーン...おお神よ...よくぞこの方を劇団四季に与えたもうた...🙏 まさに圧巻であり圧倒。「俺ここから出られたら飯田達郎さんの『愛せぬならば』聴くために舞浜のアンフィ行くんだ(何のフラグだ。てか誰だ)」って毎日何百人も押し掛けて不思議じゃない歌声です。

 

【2幕 可愛いは正義だ!!達郎さんビースト】

2幕のビーストが可愛いのは知ってるよ♪

飯田達郎さんに可愛いのやらせたらズルいの知ってるよ♪

まずベルに荒療治された瞬間の「%&#*☆?!!!😱」みたいな叫び声がクッソ面白いwww観客のお子様だいたいここで笑ってるwww

そしてミセスポットに「これ痛いよ!!」って訴える目線と言い方で王子がこれまでどんなにミセスポットに甘えて来たかが出ています。なんだあの突然の甘えん坊はwww

んで何回か見て気づいたんですけど、ビーストのズボンが1幕と2幕では微妙に変わってる?太ももの部分の毛がなくなってる気がする。

旧版のパンフ見るとビーストって旧演出は何と1幕上半身裸(毛むくじゃらのまま)で2幕からあの白いシャツ着てたのよね。

舞浜版からは1幕もシャツ着てるけど2幕から少し身だしなみも整え始めたビーストを表してるのかなぁ?と。

図書室の場面もルミエールに教えられて1・2・1・2て二足歩行の階段の登り方を思い出したりと「野獣の姿に変えられることで忘れてしまったor野獣の本能に任せてやめた」人間としての振る舞いを必死に少しずつ取り戻していく姿が健気。

そしてどうしても気になるのが1幕ベルに「もう会えないのに(父に)さようならも言わせてくれない」と責められて達郎さんのビーストは明らかに狼狽して自分を責めるような悲しい目をしたこと。ビーストの両親はどうしたの?何故読み書きを少ししか教えてもらえなかったの?何故ミセスポットにあんなにずっと甘えているの?

「甘やかされて育った」にはそれより過去にとても悲しい出来事があったのでは?と想像してしまうのよ。

 

【ベルとの晩餐】

 ベルとの晩餐で告白しなさいとコッグスワースとルミエールに説得されるビースト。

ここで下手側の客席に座ってないと見えない表情がありまして(アンフィの呪い)、ルミエールが一度だけ「ご主人」ではなく「王子さま」と呼びかける場面で達郎さんのビーストは凄く驚いたようなハッとした表情でルミエールを凝視するんですね。

呪いをかけられた後は「ご主人」と呼ばせ、親しい召使いたちも自分を「王子」とは呼ばない存在として生きてきたビースト…図書館の場面で自らの手をみつめながら「今自分が『何か』と言うことを」と悲しそうに、恥じるように言うビースト。彼が恥じ苦しむのは「王子であった自分がただの『人間』であることすら許されぬ存在になった」ことの「尊厳の喪失」であることが伝わって辛い。

傲慢でありとてもプライドも高かったであろう王子が自分の「醜い外見」だけに絶望したのではなく「人間であることすら許されない」呪いへの絶望に長い間晒されて来たのだなと改めて思いました。

そしてルミエールに「晩餐会での振る舞い方」をレクチャーしもらいながらぎこちなく椅子を引き、右手右足が同時に出る勢いでカチコチに二足歩行し、シャンパン飲めば秒で酔い、ベルの真似して髪をいじればそのまま猫科の本能に邪魔されて「前足でカカカカカッと左顎の下を搔き始める」達郎さんビースト。

図書館の場面から「人間としての所作」を必死に思い出して人間らしく振舞おうとするビーストは「お城の中で唯一『自らの力』で魔法に逆らえる存在」なのだなぁとその可愛らしい仕草さえ観ていて切なく感じてしまいます。

 

【美女と野獣】

ミセスポットの歌う「美女と野獣」の中でたどたどしい足取りからすぅーーーっと流れるように美しく踊り始める達郎さんビースト。私飯田達郎さんのダンスも大好きなんですよ。エリックもそうですが「ソンダン65」や「The Bridge」「アンマスクド」とシンガーの枠内ではあるもののダンスをする姿を度々拝見していて、ダンサーの俳優さんとはもちろん比較するものではないものの「センス」という面で見ていて安定したリズム感と動きをされるなぁと思っています。ビーストのダンスも音楽と動きが綺麗に重なっていて本当にアニメ版や実写版やディズニーランドのアトラクションを髣髴とさせる美しさがあります。

そしてミセスポットどなたも素晴らしいのですが、達郎さんのビーストより少し前に再デビューなさった早水さんの「美女と野獣」は国宝ものですね。あまりに美しく優しく包み込むような歌声に毎回涙が出て来てしまいます。

 

【ベルを帰し「愛せぬならば(リプライズ)」】

うわーーーーん悲しい…。

タイトル書いてるだけでも涙が出るほどこの場面の達郎さんビースト悲しいです。

いやここもアニメ版も映画版見てもビーストはベルを帰してしまい『永久に野獣のまま』となることの『何が一番辛いのか』が私が理解できて無かったんですよ。

でも達郎さんのビーストは「永遠に野獣のままで生きるのは耐えられない」と明確に訴えてくるお芝居なので「ああ、ベルともう二度と会えない野獣は死を望んでいるんだな」ということが伝わって余りに辛い。

泣きながら「ベル僕は!!」まで言うのにその後の「愛してる」を言えないビースト。ベルを心底愛してしまったからこそ彼女を思い愛を伝えられずにモリースの元へ帰してしまう。もし彼女が再び戻ることがあってもその時にはビーストは完全に野獣化しているか、もしくはその前にもう...

ベルとは二度と会えず自らは完全に野獣となる前に死を選ぼうと絶望しながらもベルが安心して彼の元を去ることが出来るように無理やり微笑んでみせるその表情は余りに切ない…

そしてここで歌う「愛せぬならば(リプライズ)」はカジモドも演じる飯田達郎さんの「お芝居の凄さ」「歌唱スキルの本領」が振り切ってます。弱唱から始まる「もはや望み」の部分は泣き声&弱唱でも音がぶれずに美しい旋律を客席に届けて来るし、涙声がアラン・メンケンが作った極上の音をまるでバイオリンかチェロで奏でるかのように切なく聞こえて来る。

 

【ラストシーン】

ガストンに刺され瀕死のビースト。ベルに抱かれ死ぬ間際の声を絞り出します。ここでみなさんが「カジモドの声に似ている」と言う場面、私もそう思います。

そしてここまでビーストの声が1幕冒頭の「威厳の塊」みたいな恐ろしく低い声から弱々しく優しさと哀しさの入り混じった声にまで「変化」していることにハッとします。

必死に「人間であり続けたい。人間の姿に戻ってベルと一緒に沢山本を読んで幸せな時間を永遠に過ごしていきたい」王子としてではなく「人間として」ささやかな幸せを望み呪いに抗い続けたビーストが最期に「ベル…僕は…」までを伝えて力尽きてしまう場面は余りに悲しい。

ビーストって「人間に戻りたい」のナンバーには参加しないので「人間に戻りたい!!」の願望を直接的に強く伝えて来る表現が無いのもあり、これまで「呪いを解いた先」「呪いが解けない絶望の先」が私には見えていませんでした。

でも達郎さんのビーストは「とにかく人間に戻りたい!!美しい王子だった自分に戻りたいとかじゃない…人間に戻りたいんだ!!!」と強く願っていることがひしひしと伝わるのであのイリュージョンでまず「美しい左手」から人間に戻り始める姿に大号泣です。

そして完全に魔法が解け「人間に戻った王子。おまけとして容姿も美しい王子」に戻った瞬間が更に大号泣!!

いやここって「王子姿🤴かどんな風か」に注目して見てしまいがちなのに「人間に戻ったぁあああああああ!!!そしてほぼスッピンの飯田達郎さん王子美形✨(←おまけ)!!」ってこの感覚…カジモドが墨を落とした時の神々しさにも似て、それよりも「自ら必死に望んで願って叶えた姿」であることの感動はまたカジモドとは少し違った神々しさです。

 

【フィナーレ】

おお!!飯田達郎さんがメンケン作品のハッピーエンドにおられる!!!リトルマーメイド以来6年ぶりのディズニーハッピーエンドにおられる!!!

ベルと歌う「2人の願い~」の声の美しさよ。

ただ歌声が美しいだけではなく達郎さんの「相手の声に1番綺麗な周波数で瞬時に声を重ねる」技術の素晴らしさがあの短いハーモニーに表れているのです✨

あーあ音源欲しいなぁ(恒例)

達郎さんのバージョンもCD出して欲しいなぁ💿(恒例)

フィナーレの達郎王子様の所作がまた流石です。エリックで王子慣れしラウルで子爵慣れしている飯田達郎さんの王子の指先まで洗練された所作よ。

野獣の「外見」と「本能」の呪いから解き放たれ、王子としての上品な振る舞いと堂々たる佇まいが戻り、内面的にも優しさと人の内面を見て愛する心を得た最強王子が美しく微笑む姿に「『美しさ』とはその人の内面から現れるもの」というメッセージを強く受け取ることが出来て心が暖かくなります。

 

飯田達郎さんビーストとしてデビューして下さって有難うございます!!あの極上のバリトンを生かした歌声と美しいお城にビーストが住んでいる日常を覗き見しているような生きたお芝居を舞浜で観ることが出来るなんて幸せです♪

そして何より何より「愛せぬならば」を推しに歌って欲しいという長年の夢を叶えて下さって有難うございます!!

飯田達郎さんのファンをやっていると叶わぬ夢など何も無いのではないかと毎日が幸せです。

どうか一人でも多くの方が舞浜アンフィシアターを訪れ、素晴らしいビーストを見て終演後にキャスボ前で「ビーストの俳優さん誰?」ってなっている姿を私がニコニコ見ていられますように😇