昨晩の入浴中、足の甲に複数のかさぶたを見つけた。
はて、いったい何をしたのやら・・・?
と、記憶の糸を辿ってみると
日曜日のダンス・ワークに思い当たった。
3月10日、師匠・セレノグラフィカをお招きし
久しぶりにダンスワークショップを行なった。
参加者は13名。
パーニョ定番メンバーに加え
セレノWSに興味を持つ2名が参加してくれた。
縄文呼吸で心身を落ち着かせたり
股間接をしっかり伸ばしたり
肩甲骨を折りたたんでみたり
床を転がりながら伸びたり縮んだりしてみたり
腕を振り下ろしながら片足爪先立ちになってみたり
しゃがんだり、思いっきり体を広げてみたり
自分の8カウントでGoしてみたり
鱒になってピチピチ踊ってみたり
そして、3分間の即興ダンスをしてみたり・・・。
今回も、とても面白いメソッドが満載のWSであった。
鱒ダンスとは、昨年15周年公演で師匠達が踊られた新作
『鰭と脚の狂想曲』 のことで
昨年6月のプレビュー公演以来
幸いにも度々このダンスを拝見する機会があった私は
今回初めて踊るメンバーよりも
振付を覚えるのが早かった。
だが、シンプルな振付ゆえに緻密な動作が求められる
とても難しい作品であることに
実際に踊ってみて初めて気づいた。
参加者の1人が携帯で
私の鱒ダンスを動画撮影してくれたのだが
「何でこんなに歯を食いしばって踊っているのかしら?」
と訝しく思うほど、口元をへの字にして踊っている自分がいた。
インナーマッスルを操ることに精一杯だったとはいえ
この顔は・・・、ちょっと恥ずかしい。
ダンスはある意味、表情も大事なのだと、改めて気づく。
WSの締め括りは、恒例の即興ソロダンス。
相変わらず即興は苦手なのだが
撃沈した去年の5月に比べ、心はとても落ち着いていた。
「上手に踊ろうなんて絶対に思わない。
気負わずに、今までしたことのない動きをしてみよう。」 とだけ決めた。
実際、踊っている間、余分なことは何も浮かばず
ただ、いつもと違う動きを、という意識のみで
身体の赴くままに動いてみたら
何かの拍子で床に足を打ちつけてしまい
その時にできた擦り傷が、今、かさぶたとなっている。
WS終了後、師匠を囲んで打ち上げ会をした。
みんな、今日の自分のダンスがどうだったか
師匠に感想を聞きたい様子だったが
私は、あえてお聞きしようとは思わなかった。
なせならば師匠は、こちらから訊ねずとも
その日のダンスで気づいたことがあれば
後できちんと言ってくださる方だから。
親バカみたいにやたら褒めまくるのではなく
本当に良いと思ったことだけを話してくださるので
その真摯な評価に、誉められる者はしみじみ嬉しくなる。
今回、師匠から何も感想がなかったのは
私のダンスが良くも悪くも
何も感じるものがなかったからに他ならない。
こんなとき、以前はよく
「今日は、師匠から何も言われなかった。」
と、落ち込んだりしていた。
だが最近は、そういうことを考えなくなった。
私は、師匠に褒められるために、踊っているのではないのだから。
それに、師匠は、必要なこと、大切なことがあれば
きちんと言葉で伝えてくださる方。
何も無いのは、今、私に伝えることがないのか
あるいは、誰かに教えてもらうのではなく、己で探しなさいと
黙視していらっしゃるのかもしれない。
ダンスWSから3日経ち
心身ともに冷静になっている今
素人分析ではあるが
私のダンスに足りないものが、突然見えた。
足りないもの。
それは技術的なものも多々あるが
一番はメンタル面ではないかと思う。
ダンスを始めて早3年経つが
ここに来て、今一番痛感するのは
心の奥底には、まだ殻に閉じこもっている自分がいるということ。
40数年生きてきた中で作り上げた“個の固定観念”が
心身の赴くままに、感じるままに
身体を動かすことを阻んでいるように思う。
きっちりした性格は、日常生活や仕事上だけでいい。
見栄を張らず、卑屈にならず、居丈高にならず
素直な心で踊れるようになりたい。
それには、どうしたらよいのか。
今、模索中。
ダンスは精神修行にも似ている。
踊る環境において、様々なものが周囲にあって
それらに影響されがちなのだけど
最終的には、自分 対 自分 なのだ。
どこまで、孤独で地味な作業を頑張れるか
そこが大切。
お風呂場で、かさぶたを見つめながら思った。
まだまだやれる。
まだまだ頑張れる、と。