地獄の一丁目十三番地:学部長優等生リスト | ピロの屋本館@ロサンゼルス

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天使の女王の町Los Angelesでの生活記録

 

Fall 2020 地獄の一丁目

 

 

すったもんだだった

Mortuary Scienceでの

最初の学期も、

なんとかギリギリパスとなり、

私は大学に戻ってから

はじめてのクリスマスを

迎えようとしていた。

 

 

その時、学校からメールが来た。

 

 

これはうちの学部ではなく、

大学の方から。

 

 

私の成績が大学全体の上位

16%に入ったので、

学部長リストに載りますよ

という内容だった。

 

 

まぁ、この学部に入る前は、

一応私もそれなりに

成績は優秀だったので、

こういったリストに

名前を載せてもらえる

こととなった。

 

 

それはもちろん、

私の努力もあるけれど、

助けれくれたクラスメイトたちや、

もう1つのクラスを担当していた

ニコ教授のお陰であろう。

 

 

最初の学期で

このニコ教授と出会えたことは、

とても励みになった。

 

 

彼は本当に、

生徒の可能性を伸ばそうと

頑張ってくれる人だったからね。

 

 

Aパスしたニコ教授の

クラスとはいえ、私にとっては

そこまで簡単ではなかったし、

課題だってそれなりに多かった。

 

 

まずは毎週の小テストと、

その他に学期途中のテスト4回と

期末テスト1回で、

トータル5回のテスト。

 

 

それからこれも毎週だけど、

Discussion Board

(ディスカッションボード)

といって、

先生が出したトピックに関して

クラスのページで自分の意見を述べて、

その他2人の生徒の意見に

コメントを残すというもの。

 

 

(うちの学部の

半分くらいのクラスでは、

このDiscussion Boardか、

Flipgridと言って、文章ではなく、

同じことをビデオでやる課題の

どちらかがある)

 

 

あとは、グループワークとして

火葬後のお骨の処分方法をリサーチし、

パワーポイントにまとめて

最後にプレゼンテーション。

 

 

個人のプロジェクトでも、

世界のお墓をリサーチし、

それをまたパワーポイントにして

提出するというのがあった。

 

 

どれもこれも

私にとっては初めての分野で

大変だったことは多かったけど、

ニコ教授やクラスメイトたちに

助けられてなんとか超えられた。

 

 

それからニコ教授は、

私を気にかけてくれていたと

感じることもあった。

 

 

例えば、

 

 

クラスでビデオを見て、

そのリポートを出すとかの課題の時も、

私がネイティブでないってのを

考慮してだと思うけど、

サラっとキャプションを

出してくれたりした。

 

 

日本は世界でも

ナンバーワンの火葬大国なので、

その授業の時には、

『日本の火葬率は99.9%と

非常に高い。うちのクラスにも

日本人でピロがいるね』

なんておちゃめなコメントまで

くれたこともある。

 

 

それから、

あるDiscussion Boardでは

こんなこともあった。

 

 

その時のトピックが、

新聞の投稿だったんだけど、

その家族は父親を亡くし

火葬したんだけども、お骨の

その後の処分方法を決めるまでに

10年かかったという話だった。

 

 

まぁ、

簡単な内容はそれなんだけど、

そこには家族それぞれの

父親に対する思いや関係などがあり、

家族全員の気持ちが一致して、

そのお骨を手放すのに

10年かかったと。

 

 

ニコ教授の質問は、

この10年という期間を

未来の葬祭専門家として、

君たちはどう受け取るか

って内容だった。

長いと思うか短いと思うかとか、

なんでもいいから意見を述べよと。

 

 

クラスメイトたちの投稿を

色々読んでいたんだけど、

全員そろって長いか短いかの

どちらかの意見だった。

中には、そんなに長い時間あけたら、

亡くなったお父さんが浮かばれない、

などの意見とかも。

 

 

私は多少躊躇はあったものの、

『普段はこれを人に言う事は

ほぼないんだけど、

ここはMortuaryのクラスなので、

私の経験をシェアします』

という前置きを添えて、

自分が思ったままを書き綴った。

 

 

以下がその時私がアップした内容。

 

 

私は母親を自殺で亡くしている。

季節でも一番寒い2月に、

ビルから飛び降りて命を絶った。

突然の出来事と、

その死に方に対するショックは

計り知れなかった。

 

結論から言うと、私の場合、

母のこの死を乗り越えるのに

2年かかった。

泣き崩れた時もあったし、

鬱っぽくなった時もあったし、

後を追おうと思ったことさえあった。

 

私の周りの人達はこの2年を、

”あなたは早く立ち直れた方”

という意見が多かったけど、

それに対して私が思ったことは、

『早い?冗談じゃない!』だった。

あの2年は私にとっては地獄だった。

どこへ向かっていいかもわからない、

先の見えない、そして

ゴールのない真っ暗なトンネルを

ひたすら手探りで歩く日々だったし、

あの期間は、

20年にも30年にも長く感じたし、

時の経過さえ感じない時もあった。

 

あの真っ暗闇で絶望的な空間に、

時間という観念はなく、

ただ亡くなった母を思い、

自分たちの関係を思い、

どうにかならなかったものかと

過去を悔やみ続けるだけで

必死に生きている2年でした。

 

こうして、

様々な思いが頭を巡った2年は、

いつしか気持ちの変化をもたらし、

”生きるってなにか”とか、

”私が亡くなった母だったとしたら、

残してきた娘に

今後どのように生きていって

欲しいと思うか”

などを考えるようになった時、

私はやっと生きる希望を取り戻し、

その闇から抜ける事ができた。

 

この記事にある10年とは、

彼らにとって

愛する身内の死を乗り越えるのに、

そして、残された家族たちが

故人としっかりお別れをして、

その後も有意義な人生を送る為に

彼らが通らなければいけない

過程の一つだったのだと

私は思います。

 

愛する身内を亡くした人たちは、

その死を乗り越えるまでは、

我々とは違った時間の流れの中で

生きているので、

その時間の観念に早いも遅いもなく、

ただ、彼らにとって

必要な時間だったのでは

ないでしょうか。

 

未来の葬祭専門家を目指している

我々に最も必要なことは、

そうしたご遺族の気持ちを察し、

皆それぞれの乗り越え方がある

いう理解と、

それに対する必要なサポートを

提供することではないかと思います。

 

 

 

確かね、こんなような内容を、

Discussion Boardに投稿した。

 

 

ニコ教授は、

まぁみんなにだろうけど、

Good job!とかGood work!

って感じの短いコメントを

くれていたんだけど、

この時ばかりは違った。

 

 

『ピロ、自分の辛かった体験を

クラスでシェアした

キミの勇気をとても誇りに思う!

未来のFuneral Practitionerとして、

きっとその経験は役に立つだろうし、

キミの今後の飛躍にも繋がるだろう。

よくやった、ピロ!』

 

 

ってね。

 

 

話がまたそれてしまったけど、

ま、そんなんで、

クラスも無事パスした。

学部長リストにも載せてもらえた。

 

 

これで一件落着ークラッカークラッカークラッカークラッカークラッカー

 

 

 

 

 

でもなく、

茨の道はさらに続くのであるえー

 

 

この冬休みの間に、

我々はある難関を

越えなければならなかったんだけど、

これがまた、

休みが休みでなくなるような

精神状態にまでなぁ~。。。。

 

 

もうほんと、うちの学部は

学業以外の苦労も多かったチーン

 

 

そして次の記事が、

地獄の一丁目最終回です。

 

 

お楽しみに音譜