新しい二つの手塚治虫についてTEZUKA2020の「ぱいどん」 と 浦沢直樹の「PLUTO」 | 2018年 本棚への旅

2018年 本棚への旅

年間200冊の本を読む活字とインクの森の住人、
ピロシキ亭のシロクマおじさんの読書録です




新しい二つの手塚治虫について
TEZUKA2020の「ぱいどん」 と 浦沢直樹の「PLUTO」

先週の木曜日3月26日、突然の安倍総理の学校閉鎖要請に紛れて印象が大いに薄れてしまったが、一つの漫画界事件が起きていた。
その日発売の週刊モーニングに マンガの神様:故手塚治虫の新作を最新のAI技術で作成し掲載されたのである。


作品名は「ぱいどん」TEZUKA2020だ。ページ数は少なめで21頁。前編とあるので、前後編合わせて50ページくらいの中編作品になるのだろう。

AIが手塚マンガを描く、という刺激的な触れ込みだが、実際にはプロットやストーリーについては治虫の子供、手塚眞や手塚るみを含めたマンガ制作者が関与し、作画についても人間が描く部分が多く、全面的にグラフィックアームが描くといったSF的な製作スタイルではないようだ。

要は主要なキャラクター造形やネーム、アングル、コマ割り、といったマンガにおける作者性、手塚らしさ、といったものをAIによって集積、、データ化し、「今までに出てこなかったが、いかにも手塚治虫なら描いたであろうキャラクターを構築する」といった役割をAIに任せた、というやり方だ。


実際の作品を読んだ感想だが、確かに主人公ぱいどんは公園にたむろする浮浪者でロボット鳥をパートナーとし、特殊な超能力を持ち、依頼された難問を解決する、という事件屋的役付けであり、ブラックジャックや七色いんこ的な雰囲気が上手く出ていると思った。
物語も前半のみだが、わざとらしさ、AIらしさはなく、言われなければ気づかないレベルのスムーズさ、だ。



昨年末の紅白でAI美空ひばりが登場した際は、賛辞と同数の多くの反発や批難が生じたが、先の場合には作品ではなく美空ひばり本人を、死んだ本人の意志に関係なく再生し人前で歌わせる、といった面に多くの生理的反発が生じたことが、今回のAI手塚治虫プロジェクトと比較するとはっきりとわかる。

物事は斯様によく似ているが、異なるものを並べて比較することにより、よくわかる、というものだ。

AI美空ひばりは、なんとなくダッチワイフ的な嫌悪感を与え、
AI手塚治虫作品は、なんとなくアート界におけるリスペクト作品、みたいな抵抗感の無さを与える、とまとめても良いかもしれない。

では、問題はプロジェクトの受容の是非ではなく、作品自体の価値、マンガで言う面白さ、はどうだろう。
前述したように、いかにも手塚作品っぽさはあるものの、AIデータが作品のタイトル、話数で構築されているからであろう、中期後期の短編作品、一話完結の各話の比重がデータ内で偏差を生んでいるように感じた。
従って、手塚作品を知る者にとっては確かに手塚っぽいが、手塚ファンが生涯ベストワン、として思い浮かべるような手塚作品(例えば火の鳥、とか)とはやや離れたアウトプットが成されるという、自分のような手塚信奉者には、いささか微妙で、違和感の残る作品が生まれたことになる。
プロジェクトとしては成功だが、マンガ作品としては中の上、合格点レベルといったところだ。申し訳ないが。

ともあれ、前編のみの暫定的感想でしかない、後編を楽しみに待ちたいと思う。

更にこの後では、文字数が多くなりすぎて言及できなかった、浦沢直樹のもう一つの手塚作品について別の投稿で書きたいと思う。