アンジュと頭獅王 | 2018年 本棚への旅

2018年 本棚への旅

年間200冊の本を読む活字とインクの森の住人、
ピロシキ亭のシロクマおじさんの読書録です



#アンジュと頭獅王  #吉田修一

吉田修一ファンと、この本を高評価されている本スキーの方々には申し訳ないのだが自分にはこの本が、どうしても1200円+税、を支払って手に入れる価値を有しているようには思えなかった。

愛らしいヒグチユウコの細密なペン画:巨大なライオンの背にのる少女と少年、が表紙。
これは118点の出来だ、ヒグチさんもブックデザイナーもいい仕事をしている。

だが、文章、物語が弱い。
吉田修一が山椒大夫、安寿と厨子王の古典を題材に過去から現代まで1000年の時空を超える感動の人間愛作品、と、どのレビューでも絶賛なのだが、自分にはまったくなんにも残らない、
先行された本スキーが指摘していたが、登場人物たちがひたすらオロオロ、メソメソするばかりでお情けにすがるばかり、善人は葛藤も逡巡もなくただの記号的な善人、悪者は内面の相剋も善悪の多面性もない薄っぺらい悪者。
いくら文体がテンポいい語り調で、コエに出して読みタイニホンゴ、でもこレは読者を舐めている。。
なんとなく「コレでイイでしょ? 」みたいな広告代理店の手慣れた仕草が脳内に浮かぶ。

いや、意味不明でも不条理でも、ハチャメチャでもいいのです。実験作ならそれでもいい。
だが、そういった作品でも作者の覚悟を元に書かれたものであれば、それは気分悪いモノであっても読者の心を削り、痕跡を穿つ。それこそが読書であり、本なのだ、と思う。

波長が合わなかった、と言えばそれまで、であるが、自分には、あの「悪人」でままならぬ人の世の哀しさとか、弱くて切ない人間という存在、を切々と描き出した作家と同じものとは認め難かった。
ドストエフスキー作品のような山椒太夫とか、レオンとマチルダみたいな聖と厨子王を吉田さんは描くべきだった。あるいはヒグチユウコのライオンをナルニア国物語みたいに山椒太夫軍団とのラストバトルで大暴れさせるべきだった。 勿体無い。。。。。(TдT)




そこで念のため他の書評家のレビューとか出版社の本書の解説ページを訪問してみた。
すると、この本のコンセプト、何故この本が生まれてきたか、についてわかってきた。

御存知の方には煩わしいが、こういう経緯だ。
西新宿のはずれにパークハイアットホテルという瀟洒な高層ホテルがある。
そのホテルの創業25周年の事業として作家にスイートルームで一冊の本を書いてもらい、その本をノベルティとしてホテルの客室に置いて読んでもらおう、という企画が立ち上がった。
それが吉田修一であり「アンジュと頭獅王」だった、というわけだ。




この作品は読者に向かって書かれていない、パトロンに向かって作られた悲しい創造物だ。

と書いて、益々、ファンの恨みを買うことになってしまった。やれ、恐ろしや恐ろしや。
吉田修一様、どうぞお許しあれ。