最終回です。

良かったら読んでください。

3人の子育てと勉学の両立に奮闘した医学生時代

いよいよ、藤田保健衛生大学医学部(現:藤田医科大学)医学部での生活がスタートしたわけですが、医学生時代はどのように過ごしていましたか。

入学したのは、ちょうど第2子が生まれた時で、私は夫を北海道に残し、子ども2人と愛知県へ行きました。島根県にいた母もこちらに来てくれていろいろ手伝ってくれました。子どもを保育園に預け、あとは育児の援助をしてくれるファミリーサポートを利用するなどして勉強と家庭の両立に努めました。

子育てとの両立となるとかなりハードなスケジュールだったのでは。

朝、子どもを保育園に送った後に大学へ行き、夕方まで講義を受けて夜は保育園にお迎えに行く。大学にいる時は自分一人だから、コーヒーなんかも飲みたい時に飲めますが、家に帰ればそうもいきません。夜9時に子どもを寝かしつけたら、自分も少し仮眠をとって、その後に勉強。大学の近くに住んでいたので、家は母に任せて、大学にある24時間利用できる学習スペースに行って勉強していました。年齢的に体力も落ちて、病気もしやすくなっていたし、その上大学では若い年代の学生たちと学ぶ中でモラル面で温度差を感じたり、結構気を遣うこともあったのだと思います。寝不足とストレスでいろいろ病気もしましたね。

在学中に第3子を出産したのですが、その時は、つわりも酷くて大学を休んで寝たきりの状態にもなってしまって、中絶という選択肢も頭をよぎるくらい、本当に大変でした。

9年目で医学部卒業、53歳で医師デビュー

勉強面で苦労したことは何でしたか。

また、私自身、勉強が苦手という意識をずっと引きずっていて、特にマーク式の試験が苦手だったんです。各学年で一発試験のようなものがあるのですが、失敗すると全科目取っていてももう一度やり直さなくてはならなくなってしまうので、すごく厳しい試験です。合格ラインぎりぎりで届かなくて落ちる人が毎年20人くらいいる。だから、できる人間ばかりが集まった集団の中に入ってしまうと、留年率が高くなってしまう。そんな試験で私はいつも上がってしまい、失敗続きで2年留年しました。でも、いろいろ勉強しているうちに自分の勉強法を見つけたんです。選択問題で正解の可能性がありそうな回答のみ保留し、可能性の低いものは確実に消すことをルーチン化したり、間違った問題だけをコンスタントに解く訓練をしたり、打破する方法を見つけて真面目に勉強に取り組み続け、国家試験も3度目の挑戦で合格。そして、9年目にしてようやく医学部を卒業することができました。この時、私は53歳になっていました。

同級生との交流はいかがでしたか。

まわりには子どもがいる人はいなかったので、同級生も子どもと一緒に遊んでくれたり、面倒を見てくれて助かりました。もちろん自分よりも年下の同級生ばかりだったので、経験豊富な相談役としていろんな相談をされたりしましたね。恋愛相談とかも多かったですね。医学部生の恋愛って、結構熾烈な争いがあったりするんですよ(笑)

自分と向き合い続け、行き着いた在宅医療

研修医になってからは、どのように経験を積んでいきましたか。

初期研修医としては愛知県の市立病院に勤務しました。その後は女性を支えたいという想いから婦人科に進み、上級医の先生と私の2人で月20件以上オペを行い、現場経験を積んでいきました。緊張する現場でしたし、それに私の場合、年齢は上だけど経験が少ない初心者だったので、失敗の連続でしかられることもありました。その一方で、患者さんからはとても慕われました。まわりから厳しい目にあっても、患者さんとの交流は働く上での原動力になっていたと思います。

その後はどのようにキャリアを進めたのですか。

後期研修医として産婦人科に進みましたが、呼び出しも多く、お産の対応が自分にとってしんどいものになり、結局は3年半で産婦人科を辞めました。その後は、自身の経験から抜け毛治療にも興味があったので、AGAクリニックに転職したこともあります。ですが、臨床現場に携わりたいという原点に戻り、1年経たずに退職。その後は在宅医療に携わるようになり、今に至ります。

在宅医療については、なぜ興味を持ったのですか。

結局、診療する患者さんの対象が少し違うだけなので、基本的に特定の分野にこだわらなくてもいいのではないかと思ったんです。そう考えた上で、看取りや在宅医療は、余命の短い人や、治療でも治るのがむずかしい人が患者さんです。積極的に治療するわけではないけれど、命を終えるまで一緒にお手伝いをする。それが自分にとっては大事な部分だと思って、この分野に興味を持ちました。

患者さんと向き合い、希望を叶えられる医師へ

これから、どんな医師になっていきたいですか。

患者さんには、どんな病気でも生活を楽しんだり、生活に希望を持ってもらいたいと思っています。希望というのは、大きな夢を実現するような希望ではなく、「〇〇へ行きたい」などの生活の中で叶えられる希望です。それを叶えてあげられるような医師でありたいです。

世間では、年齢を重ねてから医師を目指す方への逆風もあります。こうした声に対して、思うことはありますか?

医師の資格があれば、臨床も研究もできます。公務員にもなれるし、いろんな働き方ができます。患者さんと向き合うこともできるので、それが私にとっては楽しいし、やりがいもある仕事です。だから、医師になって本当に良かったと思っています。

体力勝負の診療科もありますが、医師の仕事は幅広く、私のようにある程度の年齢になっても挑戦できる仕事だと思いますし、年齢で諦めないでほしいというのが私の気持ちです。

【プロフィール】

新開 貴子(しんかい・たかこ)

30代で医学部受験に挑み、7浪の末、39歳で藤田保健衛生大学医学部に合格。3人の子育てをしながら勉学に励み、53歳で医師免許を取得。現在は、名古屋大学病院の総合診療科で研修登録医として在宅クリニックで在宅医療などに従事。