子育て主婦が7浪、39歳で医学部合格の軌跡

キャリア 2024年1月3日 (水)  河田早織

Facebookでシェア ツイート

写真

父の自死をきっかけに33歳で医学部受験を決意し、7浪の末、39歳で医学部に入学した新開貴子先生。子育てをしながら予備校へ通い、医学部受験に奮闘した日々。そして7年間の歳月を費やしてでも、医学部への進学を諦めなかった原動力は何だったのか、詳しくお話を伺いました。※2回目/全3回(取材日:2023年9月9日)

前の記事

28 53歳で医師に! 遅咲き医師の奮闘の日々

おすすめの記事

【全参加950a】LIFE 年末4大キャンペーン 記事を見る 

モチベーションは、やり残したことへの清算意欲

33歳で医学部入学を目指し、36歳という年齢で医学部受験に挑戦されて、デメリットと感じることはありましたか。

自分では年齢のことはあまり考えなかったんですよね。歳はいっていても、それなりにやっていける気持ちがあったというか。これまでの人生も、東京に出て就職活動をして、いろいろと乗り越えてきた経験もありましたしね。昔、友人から「成功は99%の努力と1%の才能だよ」と言われて、「じゃあ、99%努力したら辿り着ける。やればできるんだ」と思ったんです。苦手だった勉強もこれまでしていなかったから、改めてやってみたことで新鮮味があって楽しさを感じられました。

子ども時代とは違う感覚で向き合えたんですね。

自分の中では、学生時代にやり残したことがたくさんあったと思っていましたから。なんとなく東京に行ったけど、高校の時にちゃんとやってこなかったよねと。「取り戻さないと」という気持ちも、モチベーションを保つのに重要なものだったのではないかと思います。

精神的な落ち込みを支えた、母親としての役割

予備校へはどのくらい通っていたんですか。

4年ほどです。夫の仕事の関係で北海道や宮城、広島や福岡など各地に移動しなければならなかったのですが、河合塾、代ゼミ、駿台などいろいろな予備校へ行きました。国立大学を狙って毎年センター試験を受けていたのですが、5浪目になり、さすがに私立も受けないと医学部に入るのは無理だとわかり、そこからは私立大学も受験するようになりました。

5浪目以降になると、「自分は取り残されている」という気持ちが強くなり、精神的にもきつくなっていったんですよね。手には職がないし、専業主婦で経済力がないことにもすごく不安を覚えました。このまま受からなかったらどうしようと思うようになり、いつかこの歩みを止めないといけないのかなと考えることもありましたね。

その時は、どうやってその精神的な壁を乗り越えたんですか。

毎年、絶対に今年は決めようと思って受験に挑んでいたんですよ。中長期計画があるわけでもなく、とにかく毎年これが最後と思って取り組んでいました。でも、受からないから諦められずに続ける。言ってみれば、諦める以外に、私には残された選択肢がなかったんです。それならもうやるしかないですよね。実は途中で歯学部も受けたことがあったんですが、やっぱり自分がやりたいのは歯ではないなと、改めて医学部への思いを強くしただけでした。

長年挑戦し続けることに対して、まわりの反応はいかがでしたか。

母や夫からは「いつまでやるの?」と言われていましたね。でも、私には子どもが3人いて、母親という役割を果たしていたことで、まわりから何かを言われても、精神の安定性をキープすることができたんですよね。産んだのは36歳、39歳、42歳の時で高齢出産です。実は長女が生まれる前には一度流産しています。当時はお子さんや妊婦さんを見ると羨ましくなり、子どもを持たない自分はダメな人間だとか、何か役割を演じていないといけないという変な意識で自分を縛り付けていたことがあって。だからこそ、自分の役割を持つことが精神的安定につながったのだと思います。

7浪、39歳で遂に医学部合格!

その後、7浪目にして藤田保健衛生大学医学部(現:藤田医科大学)に合格されました。合格した年は、どんな心境で受験に臨んだのでしょうか。

「今年こそもうやめないといけないかもしれない」と思っていました。当時は社会的にも大学は年齢の高い受験生を採れないというニュースが話題になっていた時でしたし、厳しい現実を突きつけられたというか……。二次試験までは受けられても、結局落ちたという話を聞いたこともあったし、40代で医学部に入学した方に話を聞くと、年配の入学者の割合は100人に3人くらいだと。「もう難しいかもな」という気持ちも自分の中で芽生えていました。

でも、わからないものですね。そんな時に遂に受かった……。

合格した年までが受験できる年齢の上限が39歳で、翌年からは39歳よりも若い年齢の人まで受験が可能と条件が変わってしまったんですよね。だから、私の年齢でもギリギリ受験することができました。

ようやく合格できた要因として考えられることはありますか。

受験先を私立に絞ったことと、情報収集がキーだったかもしれません。実際に合格者を訪ねて話を聞きに行ったりもしたんですよ。その方から合格先の藤田にも行ってみた方がいいよと言われて、一緒にキャンパスをまわり、試験のイメージトレーニングをしました。病院の前で写真を撮った方がいいよと言われて、受かったつもりで写真を撮りました(笑)。

合格した時は、ご家族をはじめ、周囲の方の反応はどうでしたか。

写真

医学部入学した当時の新開さん(後列左から2番目)

合格発表の時、私は北海道にいたのですが、知人が合格者の名簿を写メで送ってきてくれたんです。今のようなスマホではなく、ガラケーですよ。だからピントが合っていなくて、「本当に私の番号ですか?」と何度も聞いたりしましたね(笑)。合格とわかると、家族もみんな喜んでくれました。


出産、子育てをしながら7浪の末、遂に医学部に合格した新開先生。次回は、医学部入学後から現在までのキャリアや心境の変化について伺います。

【プロフィール】

新開 貴子(しんかい・たかこ)

30代で医学部受験に挑み、7浪の末、39歳で藤田保健衛生大学医学部に合格。3人の子育てをしながら勉学に励み、53歳で医師免許を取得。現在は、名古屋大学病院の総合診療科で研修登録医として在宅クリニックで在宅医療などに従事。

取材・文 河田早織