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名古屋の在宅クリニックに勤める新開貴子先生は、53歳で医師免許を取得した遅咲きの医師です。医学部受験を決意したのは33歳、子育て中。そこから7浪を経験するなど、時間がかかっても、医師になる夢をあきらめなかった新開先生のモチベーションの源は何だったのか。原点となる、学生時代やこれまでのキャリアについてお話を伺いました。※1回目/全3回(取材日:2023年9月9日)
「勉強も運動もダメ」劣等生だった学生時代
小さいころは、どんなお子さんでしたか。
地元で一番の進学校である島根大学教育学部附属小学校・中学校へ入学しましたが、勉強にまったくついていけず、成績はクラスでも最下位。家庭では親が勉強を教えてくれるわけでもなく、どうやって勉強すればいいかわからないから、どんどん落ちこぼれてしまったんですよね。それに、中学では体操部に入りましたが、部活もからきしで。勉強も運動もダメな劣等生だったので、高校はまわりの子が進むランクの高校に行けず、偏差値の低い高校へ入学しました。でも、そこでも引き続き、勉強も部活の成績もパッとしない生活を送っていましたね。
当時、夢ややりたいことはありましたか。
当時すごく流行っていたピンクレディーに影響を受けて、歌手になりたかったんです。だから、小学生の同級生と雑誌の新人オーディションにも応募したこともありますよ(笑)。それから、動物が捨てられていたりすると「助けなきゃ」と思って連れて帰るような子でした。人と動物の違いはありますが、この当時から医師には憧れていましたね。
それに関連して、友達とボランティアもよくやっていました。途上国にワクチンを送るため古切手を集めたり、募金箱を作って町の電話ボックスに設置したり。情報はあまりない時代でしたが、世界には困っている人がたくさんいるということを知ってからは結構熱心に取り組んでいたと思います。
高校卒業後は、どのように過ごしていたのでしょうか。
東京へ出て、短大に進みました。アルバイトや部活をやりながら英会話教室にも通ったりして、真面目に生活していましたね。朝はお弁当屋でアルバイトをして、日中は学校、学校が終われば英会話学校へ行ったり、ふぐ料理店でのアルバイト。今振り返れば、結構ハードな学生生活を送っていたかもしれません。でも、海外へ行きたいという夢があったんですよ。当初は海外でボランティアがしたいと思っていたのですが、ボランティア団体のセミナーに参加して話を聞くと資格が必要だったりと、自分にはハードルが高いことがわかり、まずは英語を勉強しようと英会話を習ったんです。お金が貯まった段階でイギリスへ行ったりもしました。
就職後、自分と向き合うために大学へ入学
学校卒業後のキャリアは、どのように積まれてきたのですか。
アパレルメーカーのレナウンに就職しました。海外事業部に約3年勤めた後、日本航空へ転職して羽田空港でグランドホステスとして働きました。でも、2年ほどで会社を辞めて実家に帰ったんです。その頃、摂食障害になってしまったこともあり、自分を立て直さなきゃダメだという気持ちを強く感じていて。それでAO入試で島根大学教育学部に入学しました。26歳の時です。実家の薬局で仕事をしながら、臨床心理士を目指して心理学を学び、学びの一環で精神科医院の行うセルフミーティングを開催したり、意欲的に学びました。
レナウン原宿本社勤務時代の20歳の時の新開さん
島根大学時代の新開さん(一番左)
医学部ではなかったんですね。そのまま心理系には進まなかったのはなぜですか。
やってみて分かったのですが、臨床心理の仕事は基本的に明確な答えがあるものではなく、自分の抱いていた理想とかなり違っていたんですね。それから、指導をしてくれた先生が自分にとって反面教師のタイプだったということもあり、大学院へは進まず、臨床心理士への進路は諦めました。
父の死が医学部への夢を再熱させた
そこから医師を目指されるようになったのは……。
しばらく実家の薬局の手伝いをして働いていましたが、医師を目指したのは33歳の時です。一番のきっかけは、父の死でした。父が亡くなる前から、「医師になりたい」と話してはいたんですよね。父も応援してくれていましたが、その夢を実現する前に亡くなってしまった。父は糖尿病や鬱を患っていましたが、死因は自死でした。この父の死がきっかけで、医師になりたいという想いがより強くなり、実現へ向けて具体的に動き出したという感じです。
まずは医学部を目指すことになりますが、どのように物事を進めていったんですか。
まずは近所の小さな塾へ通い、中学校の勉強からやり直しました。続いていろいろな予備校へ通いました。予備校で夫と出会い、結婚しましたが、夫の仕事の転勤で各地を転々としていたんです。それこそ、複数の大手予備校に通いましたが、いろいろ大変でしたね。やっぱり現役の子たちとはランクの差を感じましたし、勉強についていけないこともありました。
プライベートでは結婚されていたとのことですが、その頃、どのようなスケジュールで生活していたんですか。
34歳結納の日、自宅松江市にて
結婚して3年目の36歳の時に長女を産んでいたので、予備校の近くにある保育園に長女を預けながら勉強する日々でした。でも、夫も母もサポートをしてくれて、本当に助かりました。育児も家族のサポートがなければ、乗り越えられない部分もあったかもしれません。夫は自分自身も過去に医学部受験を目指したことがあったので、私の良き理解者であり、私を全面的にサポートしてくれました。
大切な人の死をきっかけに、医学部受験を決意し、新たな道を進み始めた新開先生。次回は、医学部受験に挑んだ日々についてより詳しく伺います。
【プロフィール】
新開 貴子(しんかい・たかこ)
30代で医学部受験に挑み、7浪の末、39歳で藤田保健衛生大学医学部に合格。3人の子育てをしながら勉学に励み、53歳で医師免許を取得。現在は、名古屋大学病院の総合診療科で研修登録医として在宅クリニックで在宅医療などに従事。
取材・文 河田早織
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