昨日の雅楽。
講師の岩波 滋(いわなみ しげる) さんは
という肩書の方でしたが、堅苦しくなくて、口調が柔らかく
とても分かりやすいお話でした。
長くなりがちな前置きに替えて、
先ず音をお聞きください。
笙のお話で、
「笙は、脇役の楽器。笙を嗜んでいるうちに
自分の人格も育てられたように思います。」
と仰るに相応しく、控えめな方でした。
控えめだけれども、伝えたいことは
確りと伝えることが出来るという方でした。
(音楽に詳しくないので、表現が上手くできませんが)
音の高さがピアノやフルートなどの楽器と違って
微妙に音が指の操作で変化してゆくので、
滲みの音楽ともいうそうです。
・・・何となく日本人のニジミの感覚。
ハッキリと知らしめるのではなく
虚ろって行きながら変わってゆく
ハッキリとではなく、あぁそうだよね。
そんな感じだよねで進行することが多い日本人。
イエスともノーともとれる
けっこうです・・・のとらえ方。
オーケストラのように指揮者がいなくても
成り立つ雅楽。
その演奏の中心者が出す音や間の取り方に合わせて
脇は音の流れを作ってゆく。
★★★
日常の動き方で、
主に対して、脇が合わせる呼吸を持つことが出来れば
トラブルの少ない世の中になるのでしょうね。
昨日のお話を聞いている時の、私の心の中でした。
★★★
