ニュー新橋ビル地下1階の
”だいだい”のもつ煮込みがうまい
という話だった。
もつ煮込み ・・・
牛や豚の内臓を鍋にぶちこんで、
大根、人参などの根菜と一緒にぐつぐつと煮込む。
仕上げに長ネギをきざんだものをぶっかける
冷めないうちに ハフハフしながらほおばり、焼酎や ホッピーをクーっとあおる、、、、
内臓料理は、ビタミンや鉄分、亜鉛などのミネラルを多く含み、高タンパク低脂肪であるという講釈であるが、
私がこの一品に求めるのは栄養よりも精神性である。
もつ煮込み が、日本で食されるのは明治以降である。肉食自体が明治以降なのだから当然かもしれない。
労働階級がよく食したそうで、鳥肉が高価なので安価な内臓で代用したのがはじまりとのこと。
肉食の本番ヨーロッパでは、内臓料理の種類も多彩である。独特の臭みを処理し、それをうまみにかえる技法は料理人の腕のなりどころで、ribouldigueなど、それを名物とするパリのレストランもあるくらいなのだが、なんといっても、レストランよりも レクルビス、ラ・コキーユなどのビストロで常食で ブーダン(豚の血液を煮込んだもの)がよく使われている。
フランス料理の今の体裁は、実は歴史が浅いようで19世紀以降であるというが、それまでは、調理法といえば、もっぱら煮ることで、大鍋を暖炉につるし、そこに余り物の食材をぶち込み
、パンや練り物と一緒にたべるという実に素朴なものだったらしい。
それまでは、と書いたが、辻静雄さんが著書の中で紹介してくれたゼルディンの書いた本には、パリ以外の農村では19世紀当時もまだ つるし鍋があったとのこと。
それは、日本の囲炉裏と共通している風景ではないか
いわゆる もつ煮込みは、大阪の在日コリアンの方が提供して広がった という話もある。
大阪でホルモンは「放るもの」だと洒落れる。
飾り気のないのがよいところなのか、
はらわたを食らうということに野生を取り戻すのか
もつ煮込みをたべると妙に落ち着く。
肚をさぐるとか肚を決めるとかいうが、一番感情に左右されやすい臓器部分を指して肚(はら)というのであろう。
本性それ自体というのか
それを食らうことに一興ありだと思う。
昭和の場末がよく似合う
このもつ煮込みは昭和のソウルフードであり、また、焼き鳥屋が多い新橋のソウルフードであると決めつけた。
鼻息を荒くすれば、
新橋の
ということは
サラリーマンのソウルフード
なのである。
甲府の鶏もつ料理がB級グルメで話題とかそんなことよりも
私がこの料理に求めるのは流行ではなく、普遍性である。
なんて書くとブログ自体がなりたたない。
前置きが長くなったが、今日はそんなもつ煮込みを変わった形で出すお店が新橋にあるときいて いってみることにしたのである。
ニュー新橋ビルを背中に、愛宕山方面に4分ほど歩く 城南信用金庫のほど近くの路地裏にその店は見つかった。
居酒屋 ちいち である。
入ると結構混み合って 盛況なご様子
接客は小気味よく、席を案内してくれた店員さんが会計に呼ばれるとみるや厨房からすすっと別な店員さんがオーダーを承ってくれた。
メニューは、もつ鍋があることから、
博多を想起し、オススメの中にからしレンコンがあることから、熊本を思いだし、そうかと思えば、ツブ貝のチャンジャが見えたので、そうか九州と韓国は実は近いときくし、、、なるほど
焼酎のラインナップがならぶ。日本酒は有名どころの地酒がならぶ。
基本は、九州の美味しいものを
えり好みしたような感じだ。
突き出しは、オクラとタコわさびを混ぜたもの。
”だいだい”が小アジの南蛮漬けをきざんだものだった流用派なのに対し こちらは、入念派で客に対する敬意を感じた。
生搾菜の浅漬けと、串焼きの盛り合わせを頼んだ。
お目当ては、石垣牛のもつ煮込み
石垣牛。。。こんどは沖縄である。
それを白濁スープの塩味で食する。
ホルモンはまったりとよく脂がついていて、うまい。
これだけの脂がよく乗っていれば、コラーゲンもたっぷりだ。中和するのに相当な塩分を要するため 少し塩分は強めの仕上がりで 臭み消しのニンニクの風味とともに、なんとも元気が出る逸品である。
焼肉やさんの スープを思わせるような感じもあるが、もつ鍋のプチ版なのであろう。
串物は 上品な塩加減で、素材に自信があるのであろう 焼き加減もまた絶妙
ドリンクのラインナップの中で、
意外性とともにひときわ目を引いたのが、
コークハイ
オススメという文字も飛び込んできた。
なんだか、那覇の暑い夜にステーキ屋の裏手でこだわって料理を出している店 という映像イメージが浮かんだ。
さくっと一杯 うまいツマミで飲みたいなら、 こういう店がうってつけであろう。
値段も手頃で、コストパフォーマンスがとてもいい。
つまりは、
安くてうまい店であった。
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