とても悲しい母子のニュースを見て、心がずっと涙を流している。誰もいない部屋で、1人手を合わせて、罪のない子供の命が、これ以上失われることがないようにと祈った。


大難は小難になるようにと。


これまで、私が祈ったからと言って、何があるだろうと思っていたけれど、どうも私の魂は、大きな歴史の共同創造に参加していて、自分の周りのことのためだけでなく、そのほかより大きなことのために、感謝を捧げ、祈りたいのだった。


何か特別な修行を積むからと言って、救われるのではないのではないか。私たちは1人残らず尊い存在で、子供を育てながら、会社で働きながら、都会で暮らしながら、一生懸命に生きていて、まさに生活をしながら、日日成長をして、困難を乗り越えるたびに、より美しい神様の姿、神様の性質に近づいていっているのだと信じる。