その命 あきらめるのは 忍びない



今朝は起き抜けからショックを受け、涙が溢れて止まりませんでした。今朝のうちの朝刊1面トップ記事が、こんな臓器移植だったのです。

これはその多くを手掛けるマンモス大学3校の移植医療事情です。移植は高度な設備と、高度な技術力と、高度な関係者が揃わなくてはなりません。医学部が必要。そしてそれを取り巻く職員も仕事できない人材では成り立ちません。
的確に判断し動き、情報をキャッチする力、院外の関係各所と綿密に連携を取れる能力が鉄壁に必要。
まずは現代医学で治療不可能な重病患者を常に抱えている病院です。universityですね。
この時点で国内、候補施設が限られてくるわけです。
そしてドナー側がいつどこで発生するか、これこそ神のみぞ知る。事故などで急死する人は多いでしょうがそれでは臓器移植ができません。損傷が脳などの一部で、臓器損傷が無く生物学的に生存でなければ取り出して使えません。
この極めて稀少な傷病者が発生し、脳死判定を医師がするところまでこぎ着けるのはまたデリケートで大変。
これが小さな子であるほど親は諦めがつきませんし、まだ温かいし心臓動いてるし、死んだって痛い思いさせたくないと遺体を傷付けるのを拒否する事はよくあります。
心情はとてもお察しします。
それはもう痛いほどに、わかります。
私は臓器提供カードは持っていません。でも何回か家族と話をしてはいます。
話はまとまりません。
私は決まっています。もしもの時は、脳死を通告されたら数日待ったら諦めて全身どこでも分けてくれと。目でもどこでも使えるのであれば、それで助かる人がいるのであればどうせ捨てる体なのであればためらわずにバラしてくれと言ってあります。
どの道、そんな状態で生存しても寝たきりで周囲に負担をかける事は間違い無いのです。
しかしこの話をして家族は納得はしません。不思議な現象なのですが、話を一般論としてしている最中は「うん、うん」と肯定しているのですが、だからね、と自分に置き換えた瞬間、返事しなくなります。
途端に憮然。「…わかるよね?」と押しても「嫌」と、倫理的にはこうすべきと意識は育ちつつあるのですが家族となると容易に感情がついて行かない。
気持ちはわかるんです。脳死宣告されても生き返った事例もある、それが0.00…1%であっても、もしかしたらその0.00…に入ってるかも知れないじゃないか!って思います。
最後まで願うのは当たり前の事です。
うちでさえこの調子なのですから、突然の決断を迫られる御家族様に今日、明日決めろとは厳しい話。デリカシーが無さすぎると拒否もされるわけですから、これを医師が告知し説得するのは辛い仕事です。
これを乗り越えてようやく現れるドナーの、ありがたくありがたく超幸運な患者が受け取れる機会を医療機関の受皿の都合で見送ってしまうのは本当に残念です。
折角の提供側の意思も取り巻く皆の努力も、どこに繋がる事も無く息絶えてしまうなんてえーん
ICU問題は深刻です。
医師免許があれば誰でもICUに介入できるのではありません。重篤な人が入りますからいつ急変が起きるかわからず気を抜けません。
過酷も過酷。高度な知識と何年も培って積むキャリアが無いと、急変にも対応できません。
スピード感溢れる現場に専従する医師が必要です。
働き方改革から一番遠いと言えます。定時to定時でやれる所ではありません。
固定のハイレベル医師を確保するのは至難の業です。ICUはその病院の状態をある程度判断するのに良いとも言えます。維持困難な職場なのでしっかりした体制なら、患者を預ける他科の医師が信頼を置け、且つ他科も協力的であると考えられます。
しかし、今回の報道の移植医療を断わるのはICUの受け入れ限界があるという。
満  床
だろうな…。
はっきり言っちゃうよ。
吐き出せ!
ICUに入れるのが不適切な患者を置き過ぎなんです。そうですよ、一般病床では看護師が世話するの大変で、看護師のレベルもそんなに高くないですから。病棟のレベルが高ければICUじゃなくても良いはずの高齢者がびっしり。
新型コロナなどエクモやったり初期はモロにICU入れて全身管理してましたもん。そこから間違いだし、今度は出すにも時間がかかり過ぎている。
命の選別について文句を言う人が新型コロナの時もあったが、どこまでバカな話をするのか。
選別はもうシビアに必要だ。
移植を優先して欲しい。
提供するドナーは命を捧げてくれる。
受ける患者は待つだけかも知れないが、それでも成功するとは限らず互いに命がけだ。
私自身は実は移植否定派。そうまでして生きようとは思わない。誰かを悲しませるだろう。手放しでどうぞどうぞなんて親族はいない。
摘出手術の最中も、ずっと待機して抜け殻になった遺体になって戻って来るのを、まるで自分が切り刻まれる思いで待っている。
そんな思いまでさせて自分が永らえようとは思わない。
私のしている話も支離滅裂だとお感じになるだろう。でも…人間だからこうなんだよなぁ。
で、ICUが空いていても、オペをするにはそれだけの設備と人員確保が必要だ。普通とは違う。
場合によってはヘリで運ぶ大掛かりな搬送。待ち受け、オペ室迄、運ぶ人。コーディネーター。すごいプレッシャーで預かる命。
折角の提供臓器があっても、できる病院は少ないし、できる病院が限られるから余計にそこに頼らざるを得ない。
でもそんな手術、何個も一斉に実施できるわけはない。
やはり旧帝国大学レベルでなければ難しい。
だから受け入れ先が見つかると重体患者を動かさなくてはならなかったりする。
無責任に受けられない。
それで京都大学が断念して待機患者がその人生を終えた。
提供した臓器がムダになった、提供者の命も。
医大に、医学界に是非もっと協力体制をお願いしたい。組織そのものの改革が必要だと思っている。例えば…京大の移植チームが阪大でも出張オペに臨めたら京大のオペ室もICUもスタッフも1名分の確保負担で注力できるのに。
阪大や神戸大でもやれるはずだ。
レベルはいずれも高い。訓練とマニュアルを用意していければ、機運が高まるはずだ。
成功すると実施実績になり自信もつく。
各県で必ず1病院ができれば協力分散できる。
是非、国公立医学部は横つながりの体制で人類の限界に挑戦して頂きたいと私は希望する。