「価値観の罠」:中立的立場の罠とは何か?
おはようございます みなさん




「価値観の罠」:中立的立場の罠とは何か?
https://the-liberty.com/article/21986/







《本記事のポイント》
・多様性を八正道の「正思」から見ると
・ウィキペディアに見る「中立性」の問題点
・「中立的立場」に問題意識を持とう



前回( https://the-liberty.com/article/21930/ )
価値観の罠シリーズの第1回目として「多様性の罠」と題し
現代社会の中にある「多様性」という価値の問題点を取り上げました



現在米国では
各種報道にもある通り
トランプ大統領就任後
この多様性を保護する米国内の政策
〈DEI:多様性(ダイバーシティ)
公平性(エクイティ)
包括性(インクルージョン)〉

への見直し
が連日話題に上っています


それ以外にも
「政治的正しさ(ポリティカル・コレクトネス)」
それに対する行動指針としての
「格差是正措置(アファーマティブ・アクション)」という考えに基づき
歴史的に差別を受けてきたマイノリティや弱い立場にある集団を保護し
公平な社会を目指すためのアプローチがあります


しかし
一部のケースでは
これらの施策が
「逆差別(リバース・ディスクリミネーション)」を生んでいると指摘され
前述のような制度の見直しが進んでいることは前回触れました



◎より本質的な多様性の解釈

また
前回の多様性の問題の補足説明として
幸福の科学の説く仏法真理に基づく「多様性」の理解に関しては
多様性を受容する前提として
霊的な実相世界の多元的な階層構造(多層性)との関係があり
「八正道」における「正思」の反省徳目
があります



教えの高低差
色合いの違いも含めて
人間が霊的に成長すればするほど
すべて並列ではなく
立体的に多様な見方ができるようになるという意味での
多様性が受容されることが示されていることを付け加えておきます



◎中立的立場の罠とは?

さて
その上で今回は
この多くの人が受容できる価値観を選択していく過程の中で
やはり簡単に反論できない観点として
現代社会の中に「中立的立場」というものがあるように思います

「中立的」とは特定の価値観や立場に偏らず
物事を客観的に捉える姿勢を指します

手続きの公正さに重点を置く司法制度や行政手続きにおいては
この「中立性」を「公平性」という文脈で捉えると
民主的な意思決定として
「すべての価値を平等に扱う」という
立場をとらざるを得ない側面もあります


ただし
よくよく考えてみれば
あらゆる判断には
当然
その判断基準として
何らかの価値基準が含まれるわけで
「判断しない」という選択の中にも一つの判断基準があり
特定の価値観を前提にしなければ
やはり成立し得ないと言えます


まさに
ここに「中立的立場の罠」あるいは呪縛が存在して
やはり
本来選択すべき価値判断の妨げになっているように思えてなりません



◎問題点の多いウィキペディアの編集方針

この「中立的立場の罠」の典型的な事例を
非営利団体の「ウィキペディア財団」が運営している
オンライン百科事典である
ウィキペディアの編集方針に見ることができるように思います

誰でも登録すれば
自由に執筆や編集が可能なウィキペディアの編集方針は
「中立的な観点(ナチュラル・ポイント・オブ・ビュー)」
を基本原則としており
「特定の価値観に基づく編集を行わず
バランスの取れた記述を心がける」ことを求めています


これは前述した左翼リベラルな
ポリティカル・コレクトネスや
アファーティブ・アクションとも整合するように見え
百科事典機能を超えて深刻な問題点が存在します



一例を挙げると
差別的または不適切とされる
用語の使用を避ける方針を踏まえて
歴史的な用語の見直しとして
「インディアン」を「ネイティブ・アメリカン」
「エスキモー」を「イヌイット」に置き換えることは
一定の市民権を得ている
とも言えますが
性別に配慮した表現の採用として
「スポークスマン」を「スポークスパーソン」にしたり
「チェアマン」を単に「チェア」に言い換えたりしています



さらに
「ウィンストン・チャーチルは偉大な指導者か
それとも植民地支配の加害者なのか?」
といった
歴史的な人物評価を判断する際に
左翼リベラルな観点から
歴史的評価の多様性に配慮してしまうと
問題が生じます

例えば
「植民地支配の問題」を重視すべきではないかという圧力から
上書き合戦が始まり
中立性を損なうという可能性も出てきます



歴史の中で形成された伝統的な言葉や
歴史的背景を無視して
偏向した歴史観で改編することで
中立性が損なわれる危険性は
常に内在しているわけです



関連記事
(「Wikipediaの闇──無責任記事はなぜ垂れ流される」)にもあるように
ウィキペディアの編集の最終意思決定者が誰なのか
グレーゾーンも存在している
わけで
中立的どころか一定の価値観に誘導されるという
本末転倒な可能性も否定できません


どうやってこれからの時代に正しい価値判断を加えていくのか

客観的な事実と偏向した価値観とを峻別し
この簡単に反論できない「中立的立場」というものに
しっかりと問題意識を持ち続けることが求められていると思います

(吉崎富士夫)



LGBTQなどの過度な解釈は逆差別になってしまいます

トランプ大統領が「性別は男性と女性の2つのみとする」と宣言したのは

仏法真理から見ても正しいことでしょう

神は人類を男と女に分けたのでありそれ以外の中性はありません

クリスチャンらしい宣言ですね



善悪の価値判断は

神仏の目で見たものでなければならないでしょう





今日の光の言霊は【失敗のなかにある「成功の種」】です

この世において人間は失敗するものです

失敗によって成長するようにできています

それがこの世が魂の修行の場であるゆえんです

「失敗したことがない」ということは

何もしなかったということです








 

【失敗のなかにある「成功の種」】






失敗のなかには

必ず成功の種があるのです

これは
「常勝思考」
で教えていることですけれども

失敗のなかにある
成功の種を見いだすことができたら

次の成功をつくり出すことができるのです




だから

私は

「失敗したことがない」
という人は
どうしても信じることはできないのです















HS

 
『なお、一歩を進める』 P.259