一種の「唯物論の変形」を広げることになる可能性
おはようございます みなさん






カトリック教会
同性カップルの祝福を容認 一種の「唯物論の変形」を広げることになる可能性

https://the-liberty.com/article/21120/



《ニュース》

キリスト教カトリック教会のフランシスコ教皇は18日
ケースバイケースではあるものの
司祭が同性カップルに
「祝福」を与えることを許可すると発表しました






《詳細》

カトリック教会における祝福とは
司祭が対象の人を温かく見守ってくださいと神に祈る行為を指します

教皇庁教理省長官である
ヴィクトル・マヌエル・フェルナンデス大司教は
この宣言は
「カトリック教会での同性カップルの地位を認めるものではない」
としながらも
「神は全ての人を受け入れる」というしるしだと指摘

「カトリック教会の魅力を広げる」
というフランシスコ教皇のビジョンに基づき
罪深いとされている関係にも祝福が与えられるようになると述べました

ただしこれまで通り
結婚は男女間のものであり
同性婚は認めないという教義は維持します

そのため
こうした祝福が通常の教会儀式として行われたり
パートナーシップ(結婚に相当する関係)を認めたり
結婚式を示唆するような衣服を着たり
身振りをしたりしてはならないとしています

これまでもフランシスコ教皇は
LGBTなどの性的少数者に寛容な姿勢を示してきました


《どう見るか》

ここ数十年
キリスト教の多くの宗派が同性カップルの祝福や結婚を認めてきたため
「男女が結婚して子供を産み
家庭を大切にするべきである
そうした社会を破壊する同性愛や同性婚は神の御心に反する」
といった保守的な考えを持つ人々は
教会から離れていきました

今回
同性カップルを認める可能性が最も低く
"最後の砦"とも考えられてきた
カトリック教会がその立場を覆したために
敬虔なキリスト教信者たちの間で衝撃が広がっています

カトリック教会が
性的少数者にも神の祝福を与えたいという気持ちは理解できますが
残念ながら
神の御心がどこにあるのか
つかみかねている面があるのではないでしょうか

幸福の科学の霊査によると
キリスト教国を中心に指導しているトス神は
同性愛について
愛といっても精神的な価値をあまり認めておらず
一種の「唯物論の変形」であると指摘しており
また同性愛の人々は
親や社会
天を恨み
「自分の思い通りにしたい」という思いで
「神に反抗」していると考えているといいます
(『トス神の霊言』)

神は
同性愛をあまり肯定的には見ておられないのです


カトリック教会がお墨付きを与えたことで
今後
同性愛を表明するカップルが増え
LGBTの権利拡大を求める活動などが活発化する可能性は高いでしょう

しかし
これは唯物的な価値観を広げることにもつながります

そう考えると
やはりカトリック教会は
同性愛カップルの祝福を認めるべきではなかったのではないでしょうか

ザ・リバティweb



これは難しい問題です

各人の自由は尊重するべきではありますが

正しい信仰心から判断すると

男女の別があるということには変わりはありません



造物主である神は

男女の別は創られたが

それ以外の性は作られなかったのです



勝手に人間知でもって

男女以外の性別を認めることや

同性愛というのは

やはり間違いでしょう




今日の光の言霊は【肉体の健康管理】です

自分の肉体をどう考えているか

肉体自体が自分自身だと思っていては

本来の自己が見えていない

肉体を管理する心がそこにはあって

「色即是空」「空即是色」は

肉体と心の関係を指しています



この世で色がついて見えるものは肉体であり

無とは違う

この世の目では見えないが空っぽではない空の中に心がある

空という空間があってそこには目には見えない心が入っている



心が病めば肉体も病んでくるし

逆に肉体が病めば心も病んでくる

であるから

「肉体即これ心」であり「心即これ肉体」なのです



LGBTの問題もここにあるのでしょう

体が男でも心は女だと思っている

だからと言って女性にはなれない

男の体を持って生まれた以上

今世は男として生きなければならないのです






 

【肉体の健康管理】






自分の肉体は

やはり

自分自身が手入れを
しなければなりません




各人の具体的課題として

まず肉体の健康管理
ということがあるのです















HS

 
『常勝思考』 P.132
 
 

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