北京では修士や博士までが失業するほど深刻な事態!
おはようございます みなさん
中国で増える寺院参拝をする若者とそれを批判する公式メディア
【澁谷司──中国包囲網の現在地】
https://the-liberty.com/article/20459/
3月20日
中国共産党の官報『新京報』は
今の若者が喜んで寺院へ行くのを厳しく批判する記事を掲載(*1)した
以下はその主な内容である
・メディアの報道によれば
最近の若者は寺院巡りが好きで
「授業も出ず
進級もせず
ただお香を焚いている」
人里離れた場所で瞑想し
精神的な安らぎを求め
超自然的な力に人生のチャンスを託している
社会現象としては懸念されるだろう
・オンライン・チケット・プラットフォームのデータでは
今年
寺院関連観光地チケットの注文数が前年比310%増加し
2月にチケットを予約した人のうち
90年代以降生まれと2000代以降生まれが半数近くを占めているという
・また
関連するモニタリングデータでは
2019年SNSで寺院はまだあまり知られていなかったが
4年経った現在
検索数は368倍に増えている
データを見ると
もともと中高年の好む寺院が
若者の間でも人気があるようだ
SNS上では
主要な寺院の紹介文があちこちで見られ
若者達はお香を焚くのを好む
・ただ
その理由はよくわかる
今の若者は
(大卒の学歴では足りないので)大学院に入らなければならない
良い仕事に就かなければならない
(結婚して)独身状態から抜け出さなければならない
などといったプレッシャーにさらされている
・そのプレッシャーの中で
若者はストレスを発散し
気分転換するチャンネルを探し
濃密な香りと荘厳な宝物のある寺院行きを選ぶ
しかし
神仏に人生の希望を託す若者がいるが
明らかに道を踏み外している
・かつて蘇軾(そしょく:約千年前の中国の政治家・文豪)
田畑を植える者は雨を乞い
収穫する者は晴天を乞い
遠くへ行く者は順風を願い
帰ってくる者はその逆の風を願うと詠んだ
・これは
神仏を崇拝することの虚しさをも示している
今や願い事を行ったり
祈ったりする事が至る所で行われ
寺院だけでなく
SNS上で「サイバー・ウィッシュ」といって
無数の人々が動画や生放送で願い事をすることもある
・神仏が手に負えないほどの無数の願いがあるのは言うまでもない
だが
これらの願い自体
矛盾する場合が多い
例えば
ある受験生が合格を祈願し合格すれば
別の祈願者は不合格となる
この矛盾をどのようにバランスさせることができるのか?
これこそが
祈願行為の不条理さを浮き彫りにしている
・そう考えると
神仏に"おねだり"しても
結局
信用できないことがわかる
もちろん
リラクゼーションや前向きな心理的慰めとして
寺院を訪れるのは構わない
けれども
"ドラマの世界"に入り込みすぎて
超能力を答えとし
現実世界での自分の努力や苦労を放棄してしまう人がいるとしたら
それは「小さな利益のために大きな損害を招く」し
運命を変えるべく"本当の鍵"である自分自身を
ないがしろにするのではないかと心配になる
この記事に対して
早速
ネットユーザーから反論が起きた(*2)
もし
学校に行って出世するのが役に立つのなら
なぜお香を焚くのか?
そもそも
官僚たちが
他人の信仰と行動についてあれこれ言う資格があるのか
と疑問を呈したのだ
また
若者の「寝そべり」の理由を考えず
上から目線で批判していると非難した
90年代以降生まれ
2000年代以降生まれの若者達は
自分たちを取り巻く現実への不満から社会の期待に従わず
「寝そべり」を決めている
「寝そべり」は
社会の「内巻き化」
(激烈な競争
下降沈下
自己検閲
苦しみの中で楽しむ等
ネガティブな意味)
に対抗する方法と見なされている
具体的には
(1)家や車を買わない
(2)恋愛せず結婚しない
子供を作らない
(3)低レベルで消費し
最低限の生活水準を保つ等である
それは
中国資本家の金儲けマシーンとなって搾取される
すなわち"奴隷的搾取"を拒む姿勢である
実は
新型コロナ蔓延当初
「ゼロコロナ政策」のため景気が悪いので
コロナの流行が終われば投資が再開すると思われていた(*3)
しかし
閉鎖・管理措置が解除された後も
景気は上向かなかった
そして
投資意欲のあったビジネスマンが急に「寝そべり族」になり
中小企業オーナーも「寝そべり族」になってしまっている
そのためか
現在
北京では多くの大卒はおろか
修士や博士までが失業するほど深刻な事態だという
(*1) 3月20日付「新京報」
(*2) 3月21日付「中国瞭望」
(*3) 3月21日付「RFA」
アジア太平洋交流学会会長・目白大学大学院講師
澁谷 司
(しぶや・つかさ)1953年、東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。東京外国語大学大学院「地域研究」研究科修了。関東学院大学、亜細亜大学、青山学院大学、東京外国語大学などで非常勤講師を歴任。2004年夏~05年夏にかけて台湾の明道管理学院(現・明道大学)で教鞭をとる。11年4月~14年3月まで拓殖大学海外事情研究所附属華僑研究センター長。20年3月まで、拓殖大学海外事情研究所教授。著書に『人が死滅する中国汚染大陸
超複合汚染の恐怖』(経済界)、『2017年から始まる! 「砂上の中華帝国」大崩壊』(電波社)など。
ザ・リバティwebより

この記事を読むと
中国がかつての日本の「大学は出たけれど」言われた時のこと
昭和初期の不況期のときのような感じなのか
しかし
日本はその後経済発展を遂げました
これとは違う意味での「寝そべり族」であり
若者の就職先の受け皿がないことを示しています
すでに中国の経済バブルは崩壊して
急速に中国の経済が収縮してしまった状態を示しているようです
中国に日本のようなマスコミがないので
バブル崩壊を叫ばないだけなのでしょう
しかし
実際には若者もビジネスマンも中小企業のオーナーも
「寝そべり族」になって何もできない状態なのだということでしょう
これから来るのは中国版デフレスパイラルでしょう
経済成長が止まり低所得化が始まって行く
ただそれでは中国という国は持たない
中国共産党は戦争を仕掛けて経済危機を脱するのか
あるいは
分裂国家となっていくのか
かなり前途は多難ですね
今日の光の言霊は【地獄に堕ちないために】です
中国の経済状態は地獄の様相を呈しています
ゆえに若者が寺院に参拝してお香を焚いて
ただただ
運命が好転することを願っているのでしょう
残念ながら
唯物論・無神論・無霊魂論・科学万能主義では
その願いは叶えられないのです
まず
神仏への正しい信仰が必要であり
運命を好転させるだけの努力が必要なのです
唯物論でありながら藁をもつかむ思いで神仏に祈ったところで
方や「寝そべって」棚から牡丹餅を願っても
怠惰な人生がそこに広がっているだけで
何も得られません
おはようございます みなさん
中国で増える寺院参拝をする若者とそれを批判する公式メディア
【澁谷司──中国包囲網の現在地】
https://the-liberty.com/article/20459/
3月20日
中国共産党の官報『新京報』は
今の若者が喜んで寺院へ行くのを厳しく批判する記事を掲載(*1)した
以下はその主な内容である
・メディアの報道によれば
最近の若者は寺院巡りが好きで
「授業も出ず
進級もせず
ただお香を焚いている」
人里離れた場所で瞑想し
精神的な安らぎを求め
超自然的な力に人生のチャンスを託している
社会現象としては懸念されるだろう
・オンライン・チケット・プラットフォームのデータでは
今年
寺院関連観光地チケットの注文数が前年比310%増加し
2月にチケットを予約した人のうち
90年代以降生まれと2000代以降生まれが半数近くを占めているという
・また
関連するモニタリングデータでは
2019年SNSで寺院はまだあまり知られていなかったが
4年経った現在
検索数は368倍に増えている
データを見ると
もともと中高年の好む寺院が
若者の間でも人気があるようだ
SNS上では
主要な寺院の紹介文があちこちで見られ
若者達はお香を焚くのを好む
・ただ
その理由はよくわかる
今の若者は
(大卒の学歴では足りないので)大学院に入らなければならない
良い仕事に就かなければならない
(結婚して)独身状態から抜け出さなければならない
などといったプレッシャーにさらされている
・そのプレッシャーの中で
若者はストレスを発散し
気分転換するチャンネルを探し
濃密な香りと荘厳な宝物のある寺院行きを選ぶ
しかし
神仏に人生の希望を託す若者がいるが
明らかに道を踏み外している
・かつて蘇軾(そしょく:約千年前の中国の政治家・文豪)
田畑を植える者は雨を乞い
収穫する者は晴天を乞い
遠くへ行く者は順風を願い
帰ってくる者はその逆の風を願うと詠んだ
・これは
神仏を崇拝することの虚しさをも示している
今や願い事を行ったり
祈ったりする事が至る所で行われ
寺院だけでなく
SNS上で「サイバー・ウィッシュ」といって
無数の人々が動画や生放送で願い事をすることもある
・神仏が手に負えないほどの無数の願いがあるのは言うまでもない
だが
これらの願い自体
矛盾する場合が多い
例えば
ある受験生が合格を祈願し合格すれば
別の祈願者は不合格となる
この矛盾をどのようにバランスさせることができるのか?
これこそが
祈願行為の不条理さを浮き彫りにしている
・そう考えると
神仏に"おねだり"しても
結局
信用できないことがわかる
もちろん
リラクゼーションや前向きな心理的慰めとして
寺院を訪れるのは構わない
けれども
"ドラマの世界"に入り込みすぎて
超能力を答えとし
現実世界での自分の努力や苦労を放棄してしまう人がいるとしたら
それは「小さな利益のために大きな損害を招く」し
運命を変えるべく"本当の鍵"である自分自身を
ないがしろにするのではないかと心配になる
この記事に対して
早速
ネットユーザーから反論が起きた(*2)
もし
学校に行って出世するのが役に立つのなら
なぜお香を焚くのか?
そもそも
官僚たちが
他人の信仰と行動についてあれこれ言う資格があるのか
と疑問を呈したのだ
また
若者の「寝そべり」の理由を考えず
上から目線で批判していると非難した
90年代以降生まれ
2000年代以降生まれの若者達は
自分たちを取り巻く現実への不満から社会の期待に従わず
「寝そべり」を決めている
「寝そべり」は
社会の「内巻き化」
(激烈な競争
下降沈下
自己検閲
苦しみの中で楽しむ等
ネガティブな意味)
に対抗する方法と見なされている
具体的には
(1)家や車を買わない
(2)恋愛せず結婚しない
子供を作らない
(3)低レベルで消費し
最低限の生活水準を保つ等である
それは
中国資本家の金儲けマシーンとなって搾取される
すなわち"奴隷的搾取"を拒む姿勢である
実は
新型コロナ蔓延当初
「ゼロコロナ政策」のため景気が悪いので
コロナの流行が終われば投資が再開すると思われていた(*3)
しかし
閉鎖・管理措置が解除された後も
景気は上向かなかった
そして
投資意欲のあったビジネスマンが急に「寝そべり族」になり
中小企業オーナーも「寝そべり族」になってしまっている
そのためか
現在
北京では多くの大卒はおろか
修士や博士までが失業するほど深刻な事態だという
(*1) 3月20日付「新京報」
(*2) 3月21日付「中国瞭望」
(*3) 3月21日付「RFA」
アジア太平洋交流学会会長・目白大学大学院講師
澁谷 司
(しぶや・つかさ)1953年、東京生まれ。東京外国語大学中国語学科卒。東京外国語大学大学院「地域研究」研究科修了。関東学院大学、亜細亜大学、青山学院大学、東京外国語大学などで非常勤講師を歴任。2004年夏~05年夏にかけて台湾の明道管理学院(現・明道大学)で教鞭をとる。11年4月~14年3月まで拓殖大学海外事情研究所附属華僑研究センター長。20年3月まで、拓殖大学海外事情研究所教授。著書に『人が死滅する中国汚染大陸
超複合汚染の恐怖』(経済界)、『2017年から始まる! 「砂上の中華帝国」大崩壊』(電波社)など。
ザ・リバティwebより

この記事を読むと
中国がかつての日本の「大学は出たけれど」言われた時のこと
昭和初期の不況期のときのような感じなのか
しかし
日本はその後経済発展を遂げました
これとは違う意味での「寝そべり族」であり
若者の就職先の受け皿がないことを示しています
すでに中国の経済バブルは崩壊して
急速に中国の経済が収縮してしまった状態を示しているようです
中国に日本のようなマスコミがないので
バブル崩壊を叫ばないだけなのでしょう
しかし
実際には若者もビジネスマンも中小企業のオーナーも
「寝そべり族」になって何もできない状態なのだということでしょう
これから来るのは中国版デフレスパイラルでしょう
経済成長が止まり低所得化が始まって行く
ただそれでは中国という国は持たない
中国共産党は戦争を仕掛けて経済危機を脱するのか
あるいは
分裂国家となっていくのか
かなり前途は多難ですね
今日の光の言霊は【地獄に堕ちないために】です
中国の経済状態は地獄の様相を呈しています
ゆえに若者が寺院に参拝してお香を焚いて
ただただ
運命が好転することを願っているのでしょう
残念ながら
唯物論・無神論・無霊魂論・科学万能主義では
その願いは叶えられないのです
まず
神仏への正しい信仰が必要であり
運命を好転させるだけの努力が必要なのです
唯物論でありながら藁をもつかむ思いで神仏に祈ったところで
方や「寝そべって」棚から牡丹餅を願っても
怠惰な人生がそこに広がっているだけで
何も得られません
【地獄に堕ちないために】
地獄に堕ちないためには
神仏への
正しい信仰が
必要である
唯物論
無神論
無霊魂論
科学万能主義では
天上界には還れない
HS
『地獄に堕ちないための言葉』 P.86