おはようございます みなさん
今日の内容は
私事で恐縮です
忘備録になってしまいます
ノンフィクションです
私の体にはペースメーカが装着されています
心停止を3回起こし
3度目に主治医に見つけてもらって
機械装着に到りました
40代のいつからか不整脈が時々現れては
ドキドキと動悸がするようになり
50代に特に顕著になってきました
その頃から体に損傷を与えるような出来事が
度々現れて
両腰のヘルニアを最初は右側
5年後に左側で経験しました
そして一番の大けがは
左掌を切断寸前までの大けがをしたのです
平屋の屋根瓦を高圧水洗浄する作業を行っていて
足を滑らせて屋根から落ちて隣の窓ガラスを
左手で突き破ったことが原因でした
堕ちた瞬間は何処にも打撲はなく
良かったと思ったのですが
ふと
左手を見ると掌がブラブラになっていて
小指から人差し指のあたりまで切断されていました
動脈を切っていたので血液が噴出しきて
1m先まで飛んでいきました
慌てて右手で止血し
一緒にいた仲間に救急車を呼んでもらい
近くの病院に行きましたが
手に追えず
大学病院へ回されました
大学病院には日本で5本の指に入るという
名医で掌に詳しい医師がいて
執刀していただき
6時間以上の手術の末
奇跡的に5本の指は動かすことができます
キーボードも少し左小指と薬指が動きにくいですが
10本指で打っています
この左掌も実は子供の頃から
なぜか左掌の内側を見る癖があって
自分でもなんで見ているんだろう
と不思議に思っていました
将来的にこのような事件が起きる
そのことなんだと気が付きました
過去世で故意か過失か分からないですが
誰かの左手を切断したという
カルマがあったのだろうと思います
転生輪廻のなかで起きた因果の一つです
その日は朝から雨で
昔から雨の日は悪いことが起きるので
通常雨の日は休むのですが
なぜか会社に出て行ってしまって
その直感が当たって事故になってしまいました
今思えば
あの現場もあまり良くない現場だったのかも知れません
休憩に入る直前で交代する仲間に
「よく滑る場所があるから気を付けた方がいい」と
教えて統べる瓦に両足を揃えて乗ったものですから
当然滑ってしまいます
そのまま下まで落ちたということです
不注意だったとはいえ
両足を揃えて瓦に乗ったその瞬間
足をすくわれた感覚があるのです
滑る瓦に乗る時には滑っても
すぐ下の瓦で止まるはずなんですが
瓦に足を乗せた瞬間足が宙に浮いた感覚だったのです
すぐ下の瓦に足がかからなかったのです
当時は気が動転していて分からなかったのですが
後から冷静になって考えると
作業中には水に濡れたさらに滑りやすい瓦に
何度も乗っているのです
疑問が大きくなってきます
そんな事故があって
当時の会社と仕事を止めることになり
従弟の縁から
墓地のリニューアル工事を手伝うことになりました
今でもそうでしょうが
50代の就職先はほとんどないので
気は進まなかったのですが
手伝うことにしました
海峡の街の海近くの集落の室町時代からある墓地です
両墓制と言って捨て墓と祀り墓があるもので
遺体の埋葬地と墓参のための地を分ける
日本の墓制習俗があった土地柄です
その捨て墓が今は土葬禁止になっているので
半分放置され夏場になると草が生い茂り
ゲゲゲの鬼太郎状態の墓地になっているのです

それを整地して村の共同墓地にするという計画です
この墓地リニューアル計画のお手伝いをすることになったのです
(前編)
今日のお題目は【感謝に出発した愛】です
ここに説かれている内容は
私が幸福の科学に入信するきっかけとなった本
「幸福の科学とは何か」からの抜粋です
宗教的な本でこれほど情熱に満ちた内容を見たのは
この本が初めてでした
しかも愛について情熱を語るなど
考えたこともありませんでした
また
この本を友人の母親から
「私はこの本に書かれていることが本物と思う」
と言われて貸していただいた本でした
当時なぜか宗教巡りをしていたのです
「真光」「学会」「真如苑」
その時は友人の母たちと一緒に「真如苑」に行ってました
その中の一人の母親から渡されたのです
またかと思いつつ
ページを開いて読み進んでいくと
第一章から数ページ読み進んで
なぜか涙が止まらなくなって
本が読めなくなってしまったのです
まさに法雨の涙でした
魂に強い衝撃が走るのを感じ
目から鱗が涙と共に剥がれていく様を何度も経験しました
わずか数日で夜も惜しんで一気に基本書を読み終え
さらに数十冊を読んでいました
これぞ本物と
確信した私は
自ら幸福の科学の門をたたいたのでした
【感謝に出発した愛】
愛というのは
それは
みなさんの胸が
熱くならなければ
愛ではないのです
口先ではない
頭で考えたことだけではない
あるいは
表面だけ
善とされているところの
そういう行為を
なすことをもって
愛と言わぬ
その思いを
実現する過程において
みなさんの胸が
熱くならなければ
愛とは言わない
熱くなるためには
情熱が要るのです
この情熱の根源は
何であるかといえば
自己の魂の殻を
打ち破ることによって
ほとばしり出てくる
エネルギーです
自己の殻とは
自己限定です
自分を
有限なるものとして
有限なる人間として
規定してしまうところの
生まれてから
このかたの
教育や環境や思想
こうしたものです
あるいは
既成の観念です
こうしたものが
みなさんを
縛(しば)っています
この縛りを解いて
この殻を打ち破り
無限のエネルギーを
解き放ったときに
愛は熱き思いとなって
流れ出るのであります
「この行為を
することがいいことだから
したほうがいい」
とか
「これは
それほどよくないから
しないほういい」
とか
こんなことを心のなかで考え
逡巡(しゅんじゅん)
してるようでは
そんなものは
愛の名に値しない
もっと
根源的なるものです
もっと
底深くから出てくるものです
もっと力強いものです
もっと深いところから
出てくる力です
その力が
出てくるためには
「自分がどれだけ
生かされているか」
を知る必要があります
HS