因果と言えば因果か水を守れば水の被害に…
おはようございます みなさん






非難を受けるかも知れませんが

この度の熱海の山津波の災害のことです




被災された方々にはお見舞いと

お悔やみを申し上げます






この災害には因果を感じます

静岡県知事であるトップの責任は大きいでしょう

自分の自治体のことしか考えていないところに

大きな災害に遭うというのは

それなりの理由が見えてくるような気がします




つい先日

静岡県知事がコロナパンデミックの時に

「静岡には来ないでくれ!」と言う

報道を何度か見ました




静岡にはコロナ感染者が少ないから

東京からあるいはその他の地域から来るなというメッセージを

全国に発信し駐車場を閉鎖し

熱海に来る観光客をシャットアウトしていました




この土石流の災害においても

静岡に来ないでくれというのでしょうか

自分たちで何とかするというのでしょうか

自分の自治体だけ守って

それでいいと思っているのでしょうか




また過去には

治水のことを理由として

トンネルを掘ると水源や水質が守れないという理由で

リニア建設を遅らせているのも静岡でしょう

本当に治水や利水が関係しているのでしょうか

その因果がくしくも現象として

起こっている可能性があるのではと思ってしまいます




観光産業が主たる産業であるところが

観光客に来るなと言ったり

交通網の建設を止めたりして

トップがまったく逆のオピニオンを発進しています




この度の災害にもコロナ禍であるがゆえに

救助隊も密にならないように少人数でやってくれ

ボランティアも静岡には来るなというのでしょうか




これは東日本大震災の時に

数多くのボランティアに助けられた

宮城県も同じように来るなと言っています




県外ナンバーを見ると異常な反応を示すようです

そのような排他的ことでは地域に光が差さなくなるでしょう

闇の勢力が強くなれば災害を呼び込んでしまう

これが因果となって現象に現れるのではないでしょうか

やはりどんなときであっても

「ウエルカム」でなければいけないでしょう




コロナ対策を十分にとって観光産業も継続しないと

将来的に大きなしっぺ返しがやって来るのではと思います




今日のテーマは【深い知と信仰とは対立しない】

神仏と一体になるような知が「叡智」であり

このような時にこそ必要です

正しい方向へいくことが出来ます

浅い知で判断していると

厳しい状況になってしまうのでしょう









 

【深い知と信仰とは対立しない】






ほんとうに意味のある知は

能動的な知ではありません




「自分が主人であり
自分に知識があれば
すべてが開ける」

というのは

ある程度の段階までのことです




ほんとうに深い知とは

「智」

すなわち
「叡智」
であり

「宇宙と一体となる」
「仏や神と一体となる」

という

崇高な存在と交流する部分を
含んだ知です




そして

非常に従的な立場

あるいは

非常に受け身的な
立場にならないと

その豊かな知は
与えられないのです




信仰と知は
ほんとうは
対立するものではありません




知の下部の

この世的に役に立つ部分に
限定された知と

信仰とが
対立しているのであって

ほんとうの深い知と信仰とは
対立しないのです




両者は一致してくものであり

むしろ

知が信仰を高め

信仰が知を
高める部分があるのです




修道女にしても

禅僧にしても

この世的な勉強を
それほどしていなくても

極めて知的に
高いことがあります




その高さは

一体何なのでしょうか




それは洞察の深さでもあり

直観の鋭さでもあり

大所高所からものを見る

澄んだ目でもありましょう




このような深い知は

この世的な
ペーパーワーク(書類事務)や
ペーパーテスト(筆記試験)で
測られる知よりは

はるかに優れたものです




この深い知は

実は信仰と
深くつながっています




学問の世界だけで

このような深い
知にまで到達することは

そうとうの努力を
積まないかぎり無理です




通常は

そこまで行かないのです

















HS

 
(信仰のすすめp156)
 
観照的生活から得られる
宗教的知
般若波羅蜜多
 
つくづく
幸福の科学の精舎修行で得られる「気づき」は
人生を変えると実感しています
 
「支部活動」と「教学・楽曲」と「精舎修行」の三つが
循環するライフ・スタイルを大切にしましょう
 
 

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