政治家の判断は支持率頼り!
おはようございます みなさん







もういい加減に東京五輪は中止したら⁈

IOCバッハ会長も

今回の緊急事態宣言延長下で来日ができなくなりました




煮え切らない態度ばかりには

国民も選手も辟易しているだろう

五輪開催まで数カ月

出来るわけがないのは見え見えでしょう




開催したところでそこにあるのは

理想の五輪とはかけ離れたもの

残念ながら某大臣が口を滑らせたが如く

「呪われた東京五輪」

の名がふさわしい

東京都の小池知事といい

自民党政権の判断といい

言い逃ればかりを考えた他人任せで無責任で

時代に合わない思考と発言ばかりです






これは

未来から見てはじめて理解できることかも知れませんが

現状は普通は決断しないといけない時期でしょう

世界を見渡しても

コロナに勝った国はワクチンが行き渡ったイスラエルぐらい

しかし

そのイスラエルも本当にコロナを制御できたのか

確定はできません

ワクチンの効かない変異株の発生によって

水泡に帰すかもしれません




この世の構造が理解できない現代において

神仕組みに抗うことがどれだけ愚かなことか

知るべき時が来ています




パンドラの箱が開かれ

出てきてはいけない神々が現れ

それによって

神の鉄槌は下され

あらゆる厄災害が世の中に蔓延してきました

それを助長するかように闇の手が勢力を伸ばしている




この現状が見えない人類には将来は無いのです

厳しい道しか残されていないようです

救世主が降臨していることに

気付かない人類に未来は無いということです




コロナの終息はそれを認められるかどうかに

かかっています

人類のいったいどれだけの人々が目覚めるか

それが人類の将来を決める

恐ろしいことですが

神仏を信じない人々があまりにも増えすぎました




「科学万能」

物事を科学的な判断において決める

科学的であるか非科学的なものか

それによって善悪や常識を決める




まるで神の決断のように

現代人の科学が神をも超えたのなら

この試練を科学で乗り越えよ

次の試練をも乗り越えて見よ

という

事例が次から次へと人類を襲ってきます




科学が万能ならばこれで生き残って見せよと

次々と人類に神試しは起きてくるのです

バベルの塔の如く天まで届く塔を造ろうとして

神の怒りをかったように

奢れる人類に神の試しが挑んできています




それがわかるまで試練は続きます

いつの時点で気付くのか

全ての人類が滅びるまで行くのか




神仏を信じる人々だけが生き残るのか

まさに

サバイバルの時代が始まっているのです





しかし


それでも私は人類の心に懸けたい

神仏を敬い畏む(かしこむ)心に頼りたい

神仏は人類を見捨てなかった

救世主は一つの文明が終わるときに現れて

新らたな文明を創られるのだということを

今信じたい

既存の宗教は耐用年数を迎え

一神教の教えで言うところの

終末を迎えようとしています




既存の宗教を基にする文明は終末を迎え

新たなる法が説かれています

人類の一つの文明が終わり

新文明が創成期を迎えようとしていることを信じたい




今日のテーマは【責任に範囲と魂の器】です

救世主の責任の範囲は

全ての人類と

新たに創造される文明に対しての

責任を持って説かれています




そのことは現段階で書物として出されている

2800冊を超える中に書き記されています

今後「宇宙の法」が説かれようとしていますが

この法が説かれたならば

宇宙においても責任を負うということになります




奈良の大仏「廬舎那仏」は宇宙仏であり

1300年前に聖武天皇が時の厄病天然痘を鎮めるために

国家予算の2倍もの費用を掛けて建立された大仏

この文明が終わるときに現れたる救世主を予言していたのです



救世主出現を信じる者が多ければ多いほど

人類が生き残る確率が高くなります



今はまだ幸福の科学の主エル・カンターレを信じる者は

全世界2000万人ほどです

これでは全人類の3割も助けることが出来ないでしょう



数多くの皆様方が気付かれますように

コロナウィルスの数倍早い伝播力で広がりますように

コロナを主エル・カンターレの光で打ち砕くことです








 

【責任に範囲と魂の器】





人間の器の大きさとは

責任を取れる
範囲のことでもあります




自分はどれだけのことに
責任を持っているか

あるいは責任を取れるか
ということが

自分の器を知る指標なのです




これは
極めて大事な考え方です




案外

責任が取れないものなのです




責任を取るというのは

自分の人生だけではなく

他の人の人生にも
責任をとることを意味します




これは
リーダーの資格そのものです




どれだけ多くの人の生き方に
責任を持てるかということが

リーダーとしての器を表すのです




無責任なリーダーの下にいる人は

たまったものではありません




「自分の心で正直に見て
失敗だと思うことは
自分の責任を認めることによって
次なるステップがある

ところが
それを環境や
まわりの人のせいに
だけしていては
いつまでたっても向上はない

自分に不利なことをも
あえて
正直に認めると言う性格が
大いなる独立の精神へと
導いていくのである」




傍目(はため)から見て

「この人は偉いな」
と思うのは

その人の責任範囲を
越えたところにまで

自分の責任を感じている人を
見たときでしょう




確かに

直接に手を下したかどうかという
一次的な責任は有限なので

自分が直接的な責任を
負っているとは
言えないかもしれません




しかし

二次責任

三次責任

すなわち

間接的な責任
というものがあるのです




責任という言葉で
語っているものが

愛に変わっていきます




最初は責任と思っていたものが

やがて愛に変わっていくのです

必ずそうなります














HS

 
(人を愛し、人を生かし、人を許せ。p101)
 
自分の責任の範囲を
心の中で少しずつ広げていくことが
魂の器を大きくしていきます
 
 

野狐禅.png

 

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