おはようございます みなさん
知らないということは恐ろしいことですね
下記のような記事を見つけ
大変驚きました
<a href="https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190518-00000044-mai-soci" >未届け工事で保育園にアスベスト飛散か 長野県が指導5/18(土) 18:27配信 毎日新聞</a>
以前建築関係の改修工事を生業としていたので
アスベスト(石綿)の怖さは良く知っています
それが原因で肺気腫になって亡くなった方々や
その苦しさもよく知っている者として
知らないということ(無知)であることは
大変なことをやってしまうものだと驚きました
アスベストに汚染されるということがどれほど
危険であるのか知らないのです
しかもそれが
保育園児であることなどを想像しただけで
放射能汚染よりある意味重大なものとなる可能性もあります
園と工事施工の2社は
保護者らと今後の検査費用の負担や
病気を発症した場合の補償について協議を始めている
とあるが後の祭りですね
飛散期間が短いため一般論として健康被害の可能性は低い
などと記事には書かれていますが
本当にそうでしょうか?
幸福の科学での基本教義のなかにある
愛・知・反省・発展の四正道にも含まれる
「知」がどれほど大切であり
知らないということが
どれだけ怖いことであるのか
改めて認識しました
ここで言う
知の原理はあの世の知識であり
あの世があることが知らないで生きていることの
愚かさを説いています
この世を去ってはじめてわかる世界でしょうが
この世を去ってしまっているのに
あの世があることを信じていないために
自分が死んだことすら理解できないで
ずーっと病院で寝たままの状態で何十年あるいは
何百年も無間地獄のような場所に
隔離されている霊もいるようです
これも無知であることの恐ろしさですね
本来の自分を見つめて反省する
それができない人々の姿
そこには心に曇りを作って
無明の世界に在り
物や地位・財産やお金がすべてだと
思い込んでいるのです
彼らが逝くところは地獄の世界です
【魂の根っこ(魂の傾向性)】
仏法真理を知った
第ニの跳躍の時
第ニの誕生の時
心すべきことは
いったい何であるのか
まず第一に
心がけねばならないことは
過去の自分を
見つめるということなのだ
過去
どのように生きてきた
自分であるのか
それを
再確認せねばなるまい
過去
己(おのれ)の
生きてきた道筋をたどって
一つひとつ
丹念に反省してみることだ
この反省の時に
仏法真理をよく心に描いて
仏法真理に基(もと)づいて
反省することができる者は
幸(さいわ)いである
何が思ってよいことで
何が思って悪いことか
何が
してよいことで
何が
してはいけないこと
であるかは
仏法真理の
陽(ひ)の下(もと)に
仏法真理の
太陽の下には
明らかである
その時に
過去
自分が
間違って心に
描いたこと
間違って
他の人々になしたこと
そのようなことが
あるならば
深く深く
己自身を反省するがよい
HS
(永遠の仏陀p179)