おはようございます みなさん
日本人の象徴的な花である
「さくら」
桜ぱっと咲き
桜ぱっと散りゆく春うららの中で
思うこと
もし
心停止が死であるとしたら
短い時間の心停止を経験した私は3回死んでいます
ただ
ごくごく短い一瞬の時間約7秒から10秒だったので
強烈な目まいの感覚でした
その時たまたま
24時間ホルター心電図検査中だったのです
心電図を観た医者のほうが
顔色が真っ青だったのを覚えています
即入院
ペースメーカ留置になりました
この時
いつ死んでもおかしくない自分を知りました
あのまま死んでも楽に死ねた
であればこの状態をキープして
近いうちに帰天しようかとも思いました
ところが医者曰く
「そううまくはいきません」
「脈はまたどこからか湧いてくるものです」
このように脅され
機械人間になることを決意しました
ところが
幸福の科学大川隆法総裁の場合は
その心停止状態が何日間も続いたという驚異的なもの
7人もの医者が死亡を診断し
家族全員を集めたにも関わらず
いまだに生き続けているということ
そのことは何冊かの著書に残されています
やはり死は肉体的なものだけで
霊的な死とはまた違うのか
いやいや
通常は死ぬでしょう
では
救世主は死なないのでしょうか
それとも
何かの作用が働いて
死んでまた生き返ったのか
奇跡であり人智を超えたる世界があることが
今現在も続いているのです
幸福の科学大川隆法総裁先生の周辺では
現代医学では納得いかない
地球の科学を凌駕した
不思議な世界が広がっています
新渡戸稲造の著書「武士道」の中には
武士道とは死ぬことと見つけたりという一節があります
日本人の生死観は死から始まっています
人間はいつ死んでもおかしくないし
またいつかは死ぬものである
そのためにいかに生きいかに死ぬか
その思いで一日を生きていくことにあり
でしょうか
中国の聖人である孔子は
死とは逆に生を捉えました
「未だ生を知らず、焉んぞ死を知らん。」
孔子はこの言葉で
一生懸命に今を生きることが大事で
死のことなんか考える暇はない
ということを言っているのでしょう
武士道は生への執着すら立つ精神的な境地であり
孔子は生あってこその人の道
生きることへの執着は
あって当たり前で
今を一生懸命生きろと言っているところに
武士道とは大きな違いがあります
では宗教ではどうか
幸福の科学ではこの世とあの世を貫く幸福を説きます
それはこの世の命は絶たれても
あの世へとつながる命があるということです
つまり
命はこの世限りのものではないと説いています
それを実際に証明しようと
膨大な数のこの世を去った霊人たちの言葉を
霊言と言う形で紹介しています
その数700人以上で霊言の著書は500冊を超えます
1人の霊人に対して
時を置いて複数回の霊言を録り
同じ人格であることを証明しています
どうやら
その場所では時空間を超えたる世界があり
科学などでは証明できない強烈な
霊的時空間が存在するようです
そこから発信される「法=ダルマ」こそが
今後3000年間残される地球神最後の法であり
「宇宙の法」である
ということです
【後悔しないライフスタイル】
あの世があることを
教えるのは
非常に
大事なことであると
言えます
あの世があると
知っている
ことによって
そこから
遡(さかのぼ)れば
この世での
生き方(ライフスタイル)も
決まるわけです
もし
あの世があるならば
この世で
どのように
生きなければならないかを
あらかじめ
決められる
ことになるし
その
“予習”
もできることになります
また
「死ぬまでの間
後悔しない
生き方とは何か」
という
問いに対し
自分で答えが
出せるということでも
あるのです
その結末を
知った人は
今から
“逆算”
し
「残りの人生を
どのように生きるべきか」
ということを
自分で決められるし
「他の迷える人々を救う」
ことも
できるわけです
HS
(新刊「不惜身命2017」p2)