おはようございます みなさん
NHKでも取り上げられていた
「アンコンシャス・バイアス」=無意識の偏見
見た目やその時の状況や出会い方による
無意識に感じてしまう偏った見方
これは他人を見る目にも当てはまるでしょうし
物事を判断する材料にも微妙な影響を与えて
間違った方向へと導いてしまう可能性があります
また
自分自身ですら思い込みによって
ネガティブな方へ考えたり行動しているかもしれません
これは現代の日本人の多くが感じる
宗教への偏見もそうでしょう
特に新興宗教となると疑わしい怪しげなものと捉えがちです
すでに30年以上の実績がある
幸福の科学ですら
いまだにオーム真理教と同等に見られたりします
アンコンシャス・バイアスとは
その既成概念そのものを見直すものです
例えば今まで常識とされていた事柄でも
本当はメディアが作り上げたものであったり
戦後教育が作り上げたものであったりします
中国や韓国の反日教育がそうであるように
彼らは日本人は鬼子か悪人であり
先の大戦は日本が100%悪いと
教育され思い込まされています
日本も知識人たちより植え付けられた左翼思想が
知らず知らずのうちに
戦後の自虐史観に繋がっているところもあるでしょう
マクロ的には世界を左右する
群衆や民族・国民単位でのアンコンシャス・バイアスです
ミクロ的には自分の進路や幸福感を左右するものです
これを宗教的な観点から
アンコンシャス・バイアスを分析すると
反省法の中にある「八正道」
「正見・正思・正語・正業・正命・正精進・正念・正定」
の最初の反省行である「正見」と「正思」の部分です
悟りに入りたる者の反省行は過去の反省はもちろん
その日一日の反省を行います
今日一日正しく見たか
人を正しく見たか
正しく評価し
正しく理解できたか
さらには相手の立場に立って見られたか
自分の行いを客観的に正しく見られたか
世の中の状況を正しく判断できたか
神仏から見た目で正しく見られたか
また「正しく思えたか」
正しい考え方をしたか
間違った考え方をしていなかったか
一方的な考え方や思い込みをしなかったか
目の前に現れている物事を
多様的に純粋で素直な心で見聞きし
その状態を謙虚に捉えることが出来たか
つまり「無意識の偏見」はなかったかを反省します
まさにアンコンシャス・バイアスですが
「正見」「正思」の反省は
それを超えて
ただ偏見的な見方をなくすだけではなく
「正しく」という部分が加えられます
さらには
そのアンコンシャス・バイアスを超えた反省
深く瞑想に入るところの
正語・正業・正命・正精進・正念・正定と続くのです
その先には
菩薩の悟りが広がっているのです
これは今後来るであろう
宇宙の時代への扉が開かれるときに
第二の開国が行われ
地球にやってくる別のものへの見方もにも
大きく関係してくるでしょう
見た目では判断できない多様な見方が
大切になってくるでしょう
【菩薩の使命】
この世の人々の多くは
まるで
永遠にこの世が
続くかのような
錯覚に陥り
この世に
生きることのみを
みずからの
生きがいとし
この世において
快楽を味わい
この世において
喜びを味わい
この世において
称賛を得ることをもって
人生最高の
目的としている・
その人生をもって
「無明の人生」
という
無明は
「明かりがない」
と書く
何の明かりであるか
真理の明かりである
真理の明かりが
ないからこそ
闇夜の中を歩んでいる・
このような
間違った価値観の下で
「完全なる
人生を生きている」
と思っている
多くの人たちに
真理の光を当て
目にかかりたる
鱗(うろこ)を落とす
これぞ
伝道の使命である
その目にかかった鱗を
今世
取らずして
来世に
その課題を
持ち越させてはならない・
人々の苦しみを
わが苦しみとせよ
人々の不幸を
わが不幸とせよ
まだ見ぬ人たちを
救えぬことも
みずからの不明と思え
菩薩の使命とは
それだけ
尊く深いものである
ということを
忘れてはならない
HS
(伝道の心p13)