おはようございます みなさん

 

 

やはり物事には裏と表があるようで

今回海峡の街で大騒ぎになった

市長の暴言問題も何やら

擁護論が浮上してきて

マスコミの伝え方にも批判が出てきています


明石市長暴言問題 批判一転…擁護論急増の訳報じ方、メディアに課題2/4(月) 10:07配信 西日本新聞

 

要するに市長の発言の前後をカットして

その部分だけを取り出し批判するマスコミ

そこには市長の部下に伝えたかった

真意が報道されていないということでしょう

 


市の幹部に語った内容をつぶさに聞くと

そこには

明石市長の市民を一番に思う気持ちがあってこその

あの暴言に繋がったわけで

部下に対する熱血市長の行き過ぎた

発言であった

としか思えないようなものです

 


それが表に出たわけであって

本来オフレコの部分です

 


市長本人の真意は自分自身が土下座してでも

一刻も早く用地買収を進めたい

 


死亡事故が頻発している

現場の用地買収が進まないところに自分が行って説得したい

と思いのその吐露の上での

発言であったということがわかります

 


この一連の報道を総合的に見ると

どこのだれかからかの市長へ

日ごろのパワハラ的な言動への反作用と

市長蹴落としの反勢力の盗聴と

マスコミのマッチポンプ的な

火付けのターゲットに最適な発言だったのが

「火を付けて燃やしてこい」と

マッチして起きた

スキャンダラス盗聴とねつ造ともいえるような

取り上げかたでもあったように思えます

 


これは以前ブログにも載せたと思いますが

私はそれ程批判的には取り上げなかったのです


明石市長の暴言お粗末!2019.01.30のブログ


記者会見での市長の言葉に言及しています

確かにその一言を取り上げれば暴言お粗末ですが

謝罪の際の言い方にも救われる言い方があったのではと

言及しています


 


あの言葉は市の職員に対する

市長としての「教導の怒りの言葉」である

それぐらいの気持ちで取り組んでほしいと思って

発してしまった内部的な発言であったのです

 


それを内部告発して

市長を蹴落とそうとする勢力も姑息であるし

それに乗って報道したマスコミも

その資質を問われることになるでしょう

今回の事件はあらゆる意味において

考えさせられるものであると思います

 


やはりマスコミはそのレベルなのです

真実の部分を横において

耳目を引くところにのみにフォーカスして報道する

真意を伝えていない

報道の限界というか

薄い部分が感じられます

情報の質に問題があると言わざるを得ませんね

 

 

これは今日のテーマにもつながります

このテーマの言葉は強烈です

 

 

言論・出版・表現・行動の自由があっても

心の中で神仏を信じる自由はないのか!!

信教の自由を第一に持ってこない風潮

いかがわしすぎるの一言であると

説いています

みなさんはこの問いをどのように捉えますか

 

 

 

【宗教の復活】

 

 


「信教の自由」
を認めないということは

「心のなかで
神仏を信じる自由」
さえない

つまり

「内心の自由」
(心のなかで何を
思うかの自由)すら認めない
ということになるのです

 


心のなかで
神仏を信じることさえ
できない国が

どうして

「言論の自由」

「出版の自由」

「表現の自由」

「行動の自由」

を守ることが
できるでしょうか

 


それは

やはり

「いかがわしいもの」
でしかないと
思うのです

 


結局

私が述べたいのは

このことです

 

 

これが

「宗教の復活が必要である」

ということの
意味だと思うのです

 


したがって

私は戦いをやめません

 


「全世界に
この
幸福の科学の
仏法真理を広げたい」

と強く強く願うものです

 


全国
および
世界各国の読者のみなさん

どうか

私の本心を
理解してください

 


私は

ワールド・ティーチャーとして

世界の未来を拓くために

「正しいことは正しい」

と言い続けます

 


批判するなら

それでも結構です

 


しかし

私たちは
決して信念を
曲げません

 

それが幸福の科学です

 


私たちの考えに
賛同してくれる人が
増えることを

心より願います。

 

 

 

 

 

 


HS

 

(この国を守り抜けP235)

「自由」
「民主」
「信仰」
◆限りある人生のなかで
永遠の真理をつかむ
◇人生の意味
ほんとうの愛
地球と宇宙の秘密
『青銅の法』に
すべての答えがある

 

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