おはようございます みなさん
歌舞伎俳優市川海老蔵(41)が来年5月に
13代目市川団十郎白猿を
長男堀越勸玄君(5)が
8代目市川新之助を襲名することを14日
松竹が発表した
江戸歌舞伎を代表する大名跡「団十郎」が
新元号で迎える五輪イヤーに7年ぶりに復活する
「父と麻央に伝えたい」と迷いなく放った言葉に
二人が闘病の末66歳と34歳の若さで
この世を去った二人の非業の死を乗り越えてきた
思いがこもっていましたね
この市川家の過去を紐解いてみると
大きな因縁の家系にあります
初代團十郎が役者仲間に舞台上で刺殺されたことから始まり
二代目團十郎は
日本初の千両役者となったが
絵島生島事件(大奥大スキャンダル事件)に巻き込まれ
収拾に奔走する日々を送っています
三代目の團十郎は
寛保元年 (1741) に大坂で上演中
病に倒れ、翌年 (1742)22歳で早世しています
六代目團十郎も襲名後
風邪をこじらせて急死する若干22歳
七代目團十郎は
歌舞伎十八番(暫く、外郎売りなど)などを選定したが
天保13年 (1842)天保の改革により
江戸から追放されています
八代目團十郎は
『切られ与三』役で人気を博した二枚目
嘉永7年 (1854)
江戸から追放された父親(七代目團十郎)に
会うために大阪に行くも
旅館で謎の自殺
九代目團十郎は
八代目團十郎の弟
養子に出された先で
強盗の被害に遭い
本人は九死に一生を得るが
養父は刺し殺されている
さらに
五代目・市川新蔵を養子として十代目にすべく育成するが
新蔵は眼病で片目を失明その後急死する
十代目團十郎は
死後に追贈された九代目の娘婿であり
生前に團十郎と名乗ったことはない
28歳で銀行員から転職した異色の歌舞伎役者だが
役者としては恵まれなかった
十一代團十郎は
他家から十代目市川團十郎の養子に入り
昭和37年 (1962) 4月『一億円の襲名』と呼ばれた襲名劇により
歌舞伎人気を復活させる
ところが襲名から3年半後の昭和40年 (1965) 11月10日
胃癌で死去した悲劇の名優であった
そして
十二代目である先代の市川團十郎は
白血病を発症しながらも名優の道を極めている
平穏な人生を送ったのは4代目と5代目の団十郎のみという
因縁の深い市川團十郎家です
13代目を襲名しようとする海老蔵もすでに
おしどり夫婦であった妻麻央を乳がんで亡くしています
しかし
このような悲劇の中にこそ
市川家の稀代の歌舞伎役者としての魅力があるのかも知れません
海老蔵の妻小林麻央さんは
闘病生活は赤裸々にブログに載せるなど
その歌舞伎役者としての妻の芯の強さを
垣間見ました
世界中の闘病生活を送る人々の共感を得て
女性として母として妻として
病の身でありながら
役割を果たそうとするけなげな姿は
人々に勇気を与えました
そして亡くなった今でも
ファンの心をつかんでいます
彼女の人生は短くとも深く濃い人生であった
それほど多くの方々に勇気と感銘を与えた
生き逝ったという感じがします
このような人は幽霊にはなりようがありません
幽霊にならないための最高のお手本ではないでしょうか
さらに
市川家の歴代の深い因縁を絶つほどの
大きな使命をも担っているのかも知れません
これから父の後を追う勸玄君や姉麗禾ちゃんのためにも
市川家を護る守護神であって欲しいですね
【死後、幽霊にならないために】
人から厳しいことを
言われたりすると
それを
ストレートに受け止め
長く抱き続けてしまい
「えっ?まだ
そのことを
考えていたの?」
というような
ことがあるようです
言ったほうは
そのときの気持ちを
率直に
述べただけであって
翌日には
すっかり
忘れているのに
言われたほうは
何年も
考え続けているわけです
それは
まじめな性格と
言うべきなのかも
しれませんが
しつこいと言えば
しつこい性格です
そのしつこさは
死後に
幽霊になりやすい
性格でもあるので
気を付けたほうが
よいでしょう
幽霊に
ならないためには
さっぱりした
性格が
求められるのです
さっぱりした
性格の幽霊は
あまりいません
HS
(死んでから困らない生き方P82)